2014年8月2日土曜日

女子校育ちの悲劇



作家の三浦しをんと中村うさぎの対談をまとめた「女子漂流」を読んだ。一般的な「女子」とはかなりずれている両者だが、二人とも女子校育ちらしい。なるほどな、と思った。一般的に女子校というと女の園、お嬢様学校というイメージがあるかもしれないが、女ばかりの中で女性としてのアイデンティティを保つことは難しい。女子が「女」であることを意識せずに育つ場所、それが女子校なのだ。

かく言う私も女子校育ち。だからこの二人の対談には、大いに共感するところがあった。女子校の女子はたくましい。世の中、普通男性がやるようなことも全て自分たちでやってきているものだから、男性に可愛くお願いするという感覚がない。重い荷物を運ぶのも、文化祭の大工仕事も体育大会の応援団長ももちろん皆女子。

こういう場所で育つと、社会に出て、「ごめん、これ持ってくれない?」などと男にお願いしている女を見ると蹴倒したくなる。さらには、ちょっとしたことで男性に「手伝ってあげるよ」などと言われると、可愛く感謝するどころか、「あんた私を馬鹿にしてんの?それぐらい自分でできます」と思ってしまうようになるのである。そして、恋愛テストをしてみれば、「あなたは男兄弟のいない家庭、または女子校でそだちましたね?」とそのものズバリの結果が出るような残念「女子」完成となる。女子校で絶対に育たないもの、それは女子力である。

女子校で育ち腐女子となった三浦しをん。私も腐女子とまではならなかったものの、思春期の6年間、少女漫画の二次元のキラキラした美男子にはまり、現実の男子には全く興味がなかった。たかが6年間の女子校生活だったが、思春期の重要な6年間をそうして過ごすと、やはりその後の矯正がなかなか難しい。そして未だに、女性としてのあり方をうるさく言われるような羽目になる。いや、これは単に性格の問題かもしれないが。

女子を一般的な「女性」の概念から漂流させてしまう場所、それが女子校かもしれない。

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