2014年2月27日木曜日

バリのいいところ



ブログの統計を見ると、どうやらかなりの方が日本ブログ村の海外生活、バリという項目からこのブログにたどり着くらしい。何しろ、日本ブログ村に登録されているバリ生活ブログが2つしかないばかりか、いつの間にかそのうち一位にランキングされていたのだ(!)

しかし、バリの情報を求めてこのブログに来た方、ごめんなさい。さぞがっかりされたことでしょう。何しろ、記事の半分ほどはバリとは何の関係もない書評であり、バリに関係ある記事は、せいぜい20%ほどだ。悪気はないのだが、何だか騙して訪問者を稼いでいるような気がする。

たまにはまともにバリに関する記事も少しは書かねばなるまい。
そこで、バリで好きなことを書き連ねてみることにする。

まず、景色が美しい。日本のような四季はなく、季節の移ろいを楽しめはしないが、市街地にも緑が多く、美しい。浜辺から見える明るい海の色の美しさ。乾季の夜の星星。ウブドに行けば田園風景を走る美しいトレッキングコースがいくつもある。

そして人が温かい。基本的にインドネシア人は温厚で礼儀正しい。基本的にこちらの人はいつでも笑顔であり、事を荒立てることはしない。争いごとは避け、口論になりそうになると口をつぐみ、その場を立ち去ろうとする人が多い。欧米的なビジネスの交渉を期待しても勝手が違うのでかなり面食らうだろう。レストランなどでクレームをつける外国人客を相手に、バリの人々は微笑み続ける。最強の笑みだ。

私が何よりも好きなのは、開放的なことだ。といっても、本物のバリ人の場合、色々伝統的なしきたりが多く、しがらみも多いのだろうが、外国人にとっては気楽だ。年中温暖なので、多くのレストランやカフェには壁がなく、客席が半屋外にある。屋根はあるけれど、外の空気を直接吸えるのだ。この開放感が私にはたまらない。さらに上のひさしが屋根ではなくて木だったりしたらもっといい。木陰や半屋外のレストランでくつろぐ時間は、何よりのお気に入りだ。

勿論、いいことばかりではない。遊びできているのなら楽しむだけでいいが、仕事をしている以上、人々のおおらかな性格が仇になることも多い。なぜこんなに向上心がないのか、のんきなのかしばしばやきもきさせられる。そんな私はインドネシアの同僚にとっては勤勉というよりも、きっと余裕がない仕事人間に見えることだろう。
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2014年2月24日月曜日

空中ブランコ(奥田英朗)



「ガール」を読んでなんかいいな、と思い、「家日和」を読んでこの作家をもっと読みたいと思った。そして読んだ、奥田英朗の直木賞受賞作、「空中ブランコ」。しかしかなり期待していたせいか、少々微妙だった。

この作家で好きなのは、ユーモアがあることだ。一見したら悲劇と思えるものの中にも、おかしみを見出し、コミカルに表現する。そんな視点が好きで、これも読んだ。

精神科医、伊良部一郎のもとに訪れるユニークな患者たち。跳べなくなった空中ブランコのり、先端恐怖症のやくざ、コントロールを失ったプロ野球選手、書き始めた話を過去に書いたのではないかという強迫症に悩む恋愛小説家。

確かに、期待通りユーモアがあり、コミカルだ。読んでいて楽しいことは間違いない。しかし、それも5つも続くと多少うんざりする。ワンパターンなのだ。患者を診察する伊良部は無邪気な子供そのもので、理由をつけてはビタミン剤をうち、患者の職業を面白がって、好奇心をむきだしに自分もやってみる。失敗を恐れないデブ医者は空中ブランコをし、破壊衝動の代償行為と称して交通標識に面白おかしくいたずらする。悩む小説家をつかまえて、自分の書いた支離滅裂な話を本にしたいと編集者に掛け合う。その型破りの行動に、患者たちは馬鹿らしくなり、ある意味、癒されていくのだが、どれもそのパターンから出ないのだ。現実的でない主人公の、現実的でない話を面白いと思うのは、せいぜい12話までだ。本に納められた短編5話全てが同じだったので、少々がっかりした。

とはいえ、この作者のコミカルさは他の作家にはないいい味だと思う。しかし、友人にはむしろ、前に読んだ2作のほうを勧めるだろう。

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2014年2月21日金曜日

いつもひとりで(阿川佐和子)


日常のものやそれとなく思い出したものを題材に綴った、エッセイ集。阿川佐和子さんといえば、文学人の娘であり、テレビや雑誌でも活躍中の有名人だが、読みやすく、庶民的でとても感じがいい。「この人私と感覚が似てる!」「この人と話してみたら楽しいだろうな」と一読者の私がつい思ってしまうのが、エッセイ作家としての力量なのかもしれない。

読んでいて、何となく向田邦子と通じるものがある。勿論、時代が違うし、時代の変化に伴い文章(例えば言い回しなども)多少違うのだが、全体としてのやさしく、庶民的な雰囲気が似ている。両方とも才気ある美人で、しかも結婚していないというのも何となくだぶる。向田邦子と阿川佐和子が対談していたら面白いのに、と思うが残念ながら時代が違う。

それにしても、どれもさらりと書いてあるせいか、「こんなエッセイだったら私も書ける!」と思ってしまうのだが(図々しくてすみません)、私にもエッセイ書かせてくれないかな。無理か。ある程度の有名人が書くから日常の題材でも受けるのであって、一般人が日常を綴っても面白くもなんともない。

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2014年2月19日水曜日

成田と羽田



最近、羽田空港が拡張され、国際線が増えた。今までほとんど成田しか使わなかったのに、最近では羽田を使うことのほうが多くなった。空港指定なしで値段優先で航空券を予約すると、羽田発着が意外にも多いのだ。

羽田の内装も随分きれいになった。(もっとも、昔をそんなに知らないが。)成田よりも垢抜けている。ショッピング街の「江戸小路」なんかは、中は普通のレストランだったりブランド店だったりするが、外観は江戸情緒がただよい、なかなか粋でお洒落だ。

しかし、成田か羽田どちらが好きときかれれば成田と答えるだろう。成田にしろ羽田にしろ、家から山手線に乗り、乗り換えて一本(羽田ならモノレール、成田なら 京成スカイライナー)なことは変わりないが、山の手から京成線のほうが多少スムーズであり、スカイライナーは座ってゆっくりできる。座れないかもしれない モノレールより、何となく心理的に余裕がもてる。
また、成田は、東京から遠いだけあり、空港との間に、田んぼや森などの日本の原風景がある。京成線からは、車窓からは成田山新勝寺の五重塔も見えて、「ああ日本だな」と思えるのだ。海外から成田に下り立ち、京成線で家へ帰るまでの道のりでは、「ああ、日本から帰ってきたな」と実感する。日本の国土の大部分を占める森林や、里山の風景、田んぼ、そんなのどかな風景が東京に近づくにつれて少なくなる。短い間に日本の田舎から都会への旅を体験できる。成田から帰る感覚としては、日本に着き、東京に帰る、そんな感じだ。

対する羽田は良くも悪くも全て東京だ。コンクリートのビルばかり。羽田に着いても、日本に帰ってきたという感慨はあまりない。ただ、東京に帰ってきたな、と思う。

海外に行くのに成田と羽田、両方とも使えるようになったのは何かと便利なのだろう。それでも、発着の時間と交通の便をもっと考えてくれはしないかと時々思う。私がそういう便にばかり当たるだけなのか、最近使った羽田発着の3便のうち、2便は深夜過ぎの到着、1便は早朝(午前6)の出発だった。深夜過ぎに着いても、モノレールもなく、山手線も動いていない。バスもない。早朝羽田に向かいたくても、まだ電車もモノレールも動いていない。間に合うためには、前日に羽田に行き一泊するか、高いタクシーを使うかしかない。

いや、これは私自身が賢くなればすむことか。最安値の航空券に飛びつかず、発着時の時間も考え、全てにかかる値段を予測して予約すればいい話だ。何年も海外と日本を往復しながら、未だにそんな知恵さえ身につかず、安いものに飛びつく自分の浅はかさが悲しい・・・ (´□`。。。)

2014年2月18日火曜日

阪急電車(有川浩)



精神的に疲れていて、癒し系の話を求めていた。エンターテイメントとしては刺激がなくても、読んだ後に、ちょっと心が温かくなるような話が読みたかった。例えば、小川洋子「博士の愛した数式」や、北村薫「空飛ぶ馬」、瀬尾まいこ「卵の緒」のような。そんな時に手をとったこの本。まさにドンピシャの大当たりだった。

これは、実在する阪急今津線を舞台にした、通りすがりの人々の話だ。短編小説のオムニバスのようでいて、ひとつひとつが繋がっている。

初々しい恋の始まり。裏切られた恋と復讐。通りすがりの人にかけられた、目を覚まされる言葉、励まされる言葉。ひとつひとつの話には駅名が題名としてつき、主人公もいる。しかし、その主人公の物語に、別の話の主人公が脇役として登場し、物語を変えてゆく。

ローカル線における「袖摺りあうも他生の縁」を描いたような、この本。人にはひとりひとり、その人の物語があるのだということを教えてくれる。私は、どれだけの人の「物語」に脇役として登場し、傷つけたり、励ましたりしたのだろう。私の「物語」のなかで、大切な言葉をくれた人がいたように。

心が弱っている時におすすめしたい、ちょっと素敵な本だった。


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