2013年10月30日水曜日

風の中のマリア(百田尚樹)



主人公はオオスズメバチのワーカー、マリア。弱肉強食の自然界においてひたすら闘い、狩をし、帝国(巣)のために命を賭す。動物を擬人化した物語はともすると子供っぽくなったり、陳腐になったりするが、これはなかなかすごかった。それでも、ハチたちが自分たちのゲノムについて語っているところには多少苦笑いしてしまったが。

緻密に取材されたオオスズメバチをはじめとする昆虫の生態。日々の採餌行動から、生殖、ゲノムの話まで、とてもよく描かれている。特にゲノムに裏づけされたハチの社会行動や、ニホンミツバチが進化の過程で編み出したスズメバチを撃退するための集団戦法はとても科学的だ。

しかし、1人暮らしで食べながら本を読む習慣がついてしまった私だが、これは食事中に読みたい本では絶対ない。格闘場面のなんと多いことか。クモ、オニヤンマ、カマキリとの一対一の闘いはまだいい。セイヨウミツバチやキイロスズメバチの巣を襲い、無差別に全滅させる場面はさすがに胸糞が悪くなる。人間世界の虐殺の比ではない。

話の本筋からは逸れるが、この本を読んで、ニホンミツバチがとても愛おしくなった。この物語を通して、集団でとはいえ、オオスズメバチを撃退できたのはニホンミツバチだけだ。進化の過程で培った、何とも賢い集団戦法。近年になって外国からやってきたセイヨウミツバチはそんな術を知らず、まともにオオスズメバチに抵抗し、全滅してしまう。しかし、一方で、セイヨウミツバチが他のミツバチの巣から蜜を盗む時は、ニホンミツバチは抵抗もせず、黙って見ているだけ。結果、せっかく貯めた蜜という財産を奪い取られ、餓死してしまう。長い進化の過程で蜜を奪うなんてことをする敵を持たなかったニホンミツバチは何をされているのかわからないのだ。疑うことを知らず、純粋で、賢いようでお馬鹿なニホンミツバチ。あなたたちは何て可愛いの。そんなニホンミツバチが人間によって導入されたセイヨウミツバチによって絶滅しないのは、セイヨウミツバチを狩ってくれる、スズメバチのお陰。なんともよく出来た自然の均衡だ。

それにしても、自然界の掟は厳しい。弱肉強食、そして負けたら食われるのみ。昆虫界の頂点に立つスズメバチでさえ、例外はない。その中で子孫を残すため、必死に命を燃やし、死んでゆく。それに比べると我ら人間のなんと甘っちょろいことか。戦時下を生きる人々を除けば、一生のうちで生命の危機に晒されることがどれだけあるだろう。どれだけの人が必死で生きているといえるだろう。この本に描かれている虫たちに頭が下がるような思いだ。
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2013年10月29日火曜日

考察・30という歳

最近、30という歳について考える。もう30代になって2年近くになろうとしているのに。きっかけは婚活だった。

婚活を始めたと言っても身近に相手がいないのだから大したことができるわけはないのだが、インターネットでいろいろと参考になるような記事を色々読んでいる。デートでやってはいけないこと、婚活メールの書き方、男性の恋愛心理、男性が結婚相手に求める条件・・・いわゆる恋愛のハウツーものだ。今まで男性の目などさほど気にしていなかったのだが、ここにきてやっと男性が女性に求めるもの、というのを意識し始めた。普通の人なら20代で既にやっていることなのだろうが、我ながらかなり遅い。手遅れでなければいいのだが。

どの記事でも書かれているのが、男性が一番気にする条件は年齢だという。特に子供を持ちたいと考えている場合は、30前半までの女性を希望することが多い。たとえ、自分が40代、50代であっても。自分の年齢は棚に上げて失礼な、と思うが怒っても仕方ない。

お世辞かもしれないが、私はいつもかなり若く見られ、今でも30代と思う人は少ない。しかし、それでもデータ上はやはり30前半、という年齢でひとくくりにされてしまう。まずは大勢の候補者の中から条件検索でしぼってゆくネット婚活の場合はいたしかたない。実際に会うのとは、やはり違う。そして、20代の女性に求められるものと、30代に求められるものは、全然違うのだ。たとえ、それが1歳の差だったとしても。

孔子は、「三十にして立つ」と言ったが、これは、30で自分というものを確立したと言うことだろう。シュバイツアーも、30までは自分のために生き、30からは人のために生きようと区切りをつけた。偉人と自分を比べるのもおこがましいが、世間一般的に見ても、やはり30というのは区切りの歳なのだと思う。それまではあれこれと夢を追い、迷っていても、30となるとある程度自分というものを持ち、人生の方向性を固め、生活の基盤も確立していなければいけない。社会的にも20代のフリーターは許されるが、30代のフリーターはだめなのだ。

30になれば人間的に固まってくる。就職でも、それまでの経験や業績に焦点を当てたヘッドハンティング以外は、日本企業は30代以上の人間の採用には、俄然消極的だ。昔は年齢だけで判断するのは、浅はかだと腹を立てていたが、30を過ぎ仕事での責任も増えて、人に指示する立場になって、年齢で区切るのも一理あるように思えてきた。

社会に入って間もない20代の頃は、新しいこと、学ぶべきことがたくさんある。何も描かれていないキャンバスであり、水を吸っていないスポンジだ。そしていろいろな経験や知識を吸収しながら、自分なりの考えを養い、一人前の人間として成長していく。もちろん、精神的成長はある年齢で止まることはない。しかし、やはり30歳ともなると、ある程度経験を積み、自分に自信がつき、自分が固まってゆく。キャンバスにはある程度ものが描かれ、スポンジは水を吸ってしまっている。吸収力が弱まってくるのはいたしかたない。もちろん、それまで培ったものを元に、応用する能力はそれまでよりもでてくるのだが、人のいうことを聞く「素直さ」は、どうしても劣ってくる。

ある恋愛関係のネット記事で、パートナーに求める性格として、素直さが上位に挙がっていた。パートナーを探すとき、やはり相手には自分を受け入れて欲しいと思う。就職を結婚に例えることもあるが、新しく職員を採用する会社も、素直に教えに従う、素直さが欲しいと思う。それは当然のことだろう。自分の意見をもつのは大切だが、人のことを聞く素直さもなくしてはならない。この両立が難しいところだ。

30という歳を越えたときは大した感慨もなかった。20代が終わったという嘆きもなかったし、30になったからといって変ったこともなかった。しかし、考えてみれば、私も確実に変ってきている。仕事で経験を積み、はっきりものが言えるようになった。同時に、「新しいもの」が少なくなった。そして、既にある程度知っているものに対しては、こんなものだろう、という経験に裏打ちされた予測をたてられるようになった。しかし見ようによっては高をくくったような傲慢な態度と見れないこともない。

素直さ、それは心の若々しさ、ということかもしれない。どうしたらそれを保っていけるか。これからの課題になりそうだ。

2013年10月22日火曜日

停電@インドネシア



先程、停電が起こった。別に日本のように大きな台風が来たわけでも、地震が起こったわけでもない。バリでは、いや、インドネシアでは停電はしょっちゅうある。インドネシア人にそういうと、しょっちゅうなんていうのは大げさだ、たまにじゃないか、と言うかもしれないが、13ヶ月に一回あれば、日本人の感覚では充分にしょっちゅうだろう。

停電はわずか1分足らずのこともあれば、数時間続くこともある。勿論不意打ちだ。そんなわけで、停電への準備もばっちりだ。タバコは吸わなくてもライターは持ってるし、特別にロマンチックな性格でなくても、食卓にはキャンドルがある。停電用だ。おまけにキーホルダーはLCDのランプつき。

以前なら夜に停電が起こると何もやることがなかった。本を読んだり、ギターを弾いたりするのも暗闇では難しい。しかしこれも現代では便利になった。インターネットは使えないが、バッテリーが切れるまで、2,3時間はパソコンができる。iPadで保存しておいた本も読める。エアコンや扇風機が使えないので多少暑いが、それでも日本の真夏の夜のように蒸し暑いことはない。特にやることもないので、そんなわけで停電の最中にこの記事を書いている。

昼間に停電が起こることもある。しかも、それがメンテナンスのためだったりして、勤務時間中に3,4時間も停電したこともあった。当然そうなると、仕事ができない。インターネットを使わない仕事をやるにしても、パソコンは使う。しかしバッテリーは2,3時間しかもたない。仕事が詰まっている時は私などは頭を抱えてしまうが、こちらの人間はのん気なものだ。停電が起こると、皆大喜びする。何と言っても、働かなくてもいい理由ができるのだから。そして、早速仕事の手を休め、おしゃべりを始める。パソコンのバッテリーがもつ間は働けるはずでしょ、と突っ込みをいれたくなるが、お構いなしだ。停電中、気がついてみたらパソコンに向かっているのは私1人、ということも何度かあった。使っているパソコンは皆同じはずなのに。

以前、勤務時間中に停電が起こり、数時間は復旧しないという知らせを電力会社から聞くと、皆、大喜びで映画館に出かけたことがあった。映画館は随分離れているので、こちらの停電が向こうまで及んでいる可能性は低い。映画を見ている間に復旧する可能性もないではないのだが、気にしない。いかなる時もあくせくせず、ゆっくり時間を楽しむのがインドネシア人のインドネシア人たる所以だろう。

結局、この記事を書き終わる前に、停電は10分足らずで収まった。あっけない停電だったが、よかった。エアコンもついたし、無事普段の夜を過ごせそうだ。



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2013年10月20日日曜日

波のうえの魔術師(石田衣良)



石田衣良の小説はこれで4,5冊目になるだろう。今まで読んだのは10代から20代の青春を軽く、ミステリー調に描いたものが多かった。これもその類には違いないのだが、題材が、経済、株だ。私は経済にはかなり疎く、円やドルマークがついているだけで拒否反応起こしてしまうのだが、これは専門的な部分を多少読み飛ばしてでも、楽しめた。むしろ、普段は全く親しまない世界を垣間見れたことで、読んだ意義は大きかった。

タイトルにある「波」は、マーケットの数字の波だ。波の頂点で売り、底で買うマネーゲーム。プータローだった主人公は、怪しげなマーケットの「魔術師」に見出され、弟子となる。彼の市場人生の最後を飾る「秋のディール」を手伝うために。それは、無知な老人を変額保険という罠に巧みにはめ、財産を汚く奪い取った銀行を陥れる復讐計画だった。情報操作とでっち上げによってターゲットの銀行の株価を貶める。そして同時に儲けようという策謀である。

調べてみてわかったのだが、実際にバブルの頃にはこの話に描かれている変額保険は存在し、その被害も問題になったらしい。経済には全く無知な私は、また少し賢くなった、と得した気分になる。復讐という側面がなければ、まったく小汚いマーケット操作による犯罪そのものなのだが、被害者となった女性を思う「魔術師」の純情で、物語としてだいぶ救われている。この「魔術師」の純情や、主人公が拾われて投資家としての才能を開花させてゆく様子などは、石田衣良の小説に共通するライトノベル調だが、まあ実際にフィクションなのだから、現実性よりもエンターテイメントとして楽しめたほうがいい。

完全に経済素人の私には、どこまでが現実に取材されたもので、どこからが完全にフィクションなのかあやふやなのだが、現実をモデルにしたフィクションというのは、そういうものなのだろう。宮部みゆきの「理由」では占有屋の存在を、幸田真音「日本国債」では日本国債のしくみを勉強させてもらったが、この本を読んで少し株という世界が身近になったように思う。自分で手を出そうなどとは絶対思わないが。

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2013年10月13日日曜日

思いわずらうことなく愉しく生きよ(江國香織)



先週読んだ「乱紋」に引き続き、三姉妹の話。といっても現代に生きる三姉妹だ。でも、この三姉妹はいい。「乱紋」の三姉妹のようにねたみ、そねみ、競い合うことなく、自分の生活をもっていながら、適度な距離を保ち、必要なときは助け合う。ある意味理想的な姉妹のあり方ではないだろうか。

しかし、さすが小説だけあって、3人とも個性的だ。夫からの暴力を受けながらも、夫の存在を通してしか自分の存在意義を見出せない長女、麻子。有能なキャリアウーマンで最愛の恋人と同棲しながらも、結婚を拒み、他の男との関係も続ける治子。家族思いではあるものの、恋愛というものが信じられず、誰とでも何となく肉体関係をもってしまう三女、育子。3人のどれにもあまり大して共感できなかったが、3人の家族としてのつながり方は素敵だと思った。

全く違う価値観をもち、人生を歩みながら、互いに羨ましがったり、自分と引き比べて焦ったりということは全くない。しかし「乱紋」の後にこれを読むと、むしろ「乱紋」の意地を張り合う姉妹のほうが自然のように思えてしまう。何せ兄弟姉妹は、人生で始めての競争相手なのだから。

この話で、姉妹の三人ともそれぞれユニークなのだが、その中でもひときわ注意を引くのが、DVを受ける長女麻子だ。家庭内暴力、DVというと勿論暴力をふるう夫が当然悪いと思っていたが、この話を読んで、被害者側にも原因はあるのかもしれないと思った。この話の長女、麻子は、夫の愛情を信じて疑わず、夫の存在でしか自分の存在意義を見出せない。暴力をふるわれているのに、その行為を正当化して、自分を被害者だと認めない。夫の暴力に怯えながら、そのそばを離れる孤独にも耐えられない。いくら姉妹が守ろうとして立ち上がってくれても、自分で暴力夫のそばにいることを選び、「私は大丈夫、暴力なんてふるわれていない」なんて否定していたら、どうにも助けようがない。実際のDVの事例はよく知らないが、こんなことも本当にあるのだろうか。

それでも、麻子も同じようにDVに苦しむ主婦、雪江に出会い、そこに自分の姿を見ることで、変ってゆく。幸い、手を伸ばせば助けてくれる家族がいる。
「家族に愛されると、人は強くなるのね」という雪江の言葉は印象的だ。誰か1人に全てを依存するのは健康的でない。お互い支えあいながら、それでいて自由気ままな人生を歩んでゆく犬山家の人々。こんな風にまわりを気にせずに自分らしく生き、それでいて必要なときに助け合えたら素敵だと思う。

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