2013年4月28日日曜日

一寸先は闇

2週間の出張から帰ってきて、Facebookを久々に開いてみた。すると、随分懐かしい写真が目に飛び込んできた。そして、そこには「安らかに眠ってね」「あなたのことは忘れない」などというメッセージが。一体何のことだ?と思いながら、そのメッセージが寄せられた友人のページに行ってみると、同じようなメッセージばかり。メッセージからは、彼女がどうやら亡くなったらしいことが読み取れたが、本当に本当なのか、元はどこからの知らせなのか、全くわからない。誰かが始めた悪い冗談としか思えなかった。

ちょうどFacebookでオンラインになっていた友人が、元となったニュースを教えてくれた。ケニアにツアー旅行に行っていた彼女は、夜中、ディナーから部屋に帰る途中をカバに襲われ、死亡。インターネットに掲載されたその記事を私も読むことになった。記事には彼女の名前だけではなく、年齢と出身大学、大学院も記載されてあったため、確かに彼女なのだろうとわかったが、ジョークとしか思えないようなこのニュースの中の人物が、自分の友達だとは本当に信じがたい。

 彼女はアメリカの大学院の同級生だった。中国本土からの留学生は多かったが、入学直後の実習で同じ班だった縁で、中国本土からの学生の中では彼女は私と最も親しかった。旅行好きで、2年前には彼氏と一緒にバリに遊びに来て、一緒にラフティングを楽しんだ。その彼女は、もういない。中国トップの大学を卒業し、アメリカでも有数の大学院を出、コンサル会社で精力的に活躍していた彼女を誇りにしていただろう両親の悲しみは計り知れない。

それにしてもあまりにも突拍子のない死に方だっただが、私の場合、他人事とは決して言えない。私も海外を渡り歩く身、そして仕事で未開発の地域にもよく行く。むしろ、この死に方はめったに奥地に行かないような彼女よりも私のほうがあり得そうな気もする。しかし、だから森に行かないようにしようとは思わない。私が森の中で動物に襲われて死ぬ確立よりも、彼女が上海で車に轢かれて死ぬ確率のほうがよほど高かっただろうから。

あまりにも早く逝ってしまった彼女の冥福を今は祈るしかないが、人生、何が起こるか、本当にわからない。気をつけるに越したことはないが、気をつけてもどうしようもないこともある。死の可能性を恐れてびくびく生きるよりは、死んでも悔いのないように生きたいものだ。

北京の八重桜

ニューヨークに1週間、北京に1週間の出張を済ませ、ようやくバリに帰ってきた。北京ではFacebookやBloggerによるブログが禁止で見れなくなっているため、バリに戻り、久しぶりにブログをアップ。

前に北京に行ったのは2001年。夏に2ヶ月ほど北京で中国語を勉強した。12年ぶりの北京だが、すっかりお洒落な近代都市へと変貌していた。ただ、この間、西安、広州、上海などのほかの都市には行っていたため、特別に驚いたということはなかったが。

しかし、北京の空はきれいになった。2001年夏に北京に滞在したときは、スモッグで100メートル先のビルの影も霞んでいた。2ヶ月いたが、1日として青空を拝めた日はなかった。風邪気味になると喘息を併発し、息苦しさは1ヶ月以上続いた。しかし今回、1週間ほどいたが、晴れている日はきれいな青空が見えた。道もきれいに清掃されていて、季節の関係もあるのだろうが、昔の埃っぽさはない。

北京はニューヨークよりだいぶ暖かく、桐の花が咲き始めていた。日本人は桜が好きだろうと思ったのだろう、近くの桜がきれいな公園に連れて行ってくれるという申し出に素直に従った。こんなに温かいのに桜がまだ咲いているわけはないと思いながら。

「桜の公園」として有名らしい玉淵潭公園で咲いていたのは八重桜。公園内にはソメイヨシノもあったが、当然のごとく葉桜だった。1週間前にはニューヨークで満開のソメイヨシノを見、次の週には北京で八重桜。なんと贅沢なことではないか。長く海外にいて、5年も桜を見なかったが、こんな豪華な年もあるのだ。次の桜を見られるのはいつになるのだろう。


2013年4月16日火曜日

早春のニューヨーク、ボストンのテロ

バリを離れ、ニューヨークに来ている。出張だが、ついでに友達に会おうと、昨日一日早めに来た。早朝に着くというと、その朝はニューヨーク女子ハーフマラソンに出場するので、セントラル・パークにいるという。なので、友人のルームメイトに迎えられ、家に荷物を置くと、私もセントラル・パークに向かった。

結局、私が地下鉄の休日ダイヤに相当迷ったのと、広いセントラル・パークの中でマラソンにゴールを見つけるのに相当手間取ったことで、マラソンのゴールで感激の再開、ということにはならなかった。しかし、セントラル・パークでは折りしも春の花が咲き始めており、5年ぶりに桜の花を見ることができた。東京での桜の開花のニュースを聞いた時は寂しく思ったが、こちらで思わず見られるとは。バリでは見られない春に心を躍らせ、セントラル・パークの美しい春を楽しんだ。

しかし、今日(4月16日)のニュースで、ボストンのマラソンで爆撃テロがあったと聞き、ぞっとした。同じようなことが昨日のニューヨークのハーフマラソンで起こったとしてもおかしくなかったではないか。そうしたら私の友人は被害を免れなかっただろう。もし私も時間通りに駆けつけていたら、巻き込まれていたかもしれない。本当に危険というのは至るところに潜んでいる。

 ちなみに明日から3日間会議をすることになっているうちの団体(NGOなので会社ではない)のオフィスは世界貿易センタービルの目と鼻の先である。泊まっているホテルも、数ブロックしか離れていない。このボストンのテロで、10年ほど前にニューヨークで起こったテロは今でも充分あり得るのだということを再認識させられる。どうか、私がここにいる1週間、何も起こりませんように。そう祈るだけだ。

セントラル・パークの桜の花。5年ぶりに見た桜に心が躍った。



2013年4月13日土曜日

開花宣言

4月も半ば、既に東京では桜の季節は終わり、桜前線はだいぶ北の方まで上ってきているはずだ。ここで、バリから開花宣言。と言ってももちろん、桜ではない。冬がなければ咲かない桜は熱帯にはない。うちのブーゲンビリアのための開花宣言だ。

といっても、普通ならブーゲンビリアなんて水さえあげれば年中咲いている。何せ、こちらでは一年を通してほとんど温度は変わらないし、日照時間の差も大したことはない。しかし、うちのブーゲンビリアは何カ月も花を咲かせなかった。なぜか。

私の胸ほどの背丈のブーゲンビリアの鉢植えを買ってきたのは、去年5月、引っ越してきた時だ。もちろん、買った時は濃いピンクの花を鮮やかに咲かせていた。一番元気のいいのを選んできたのだから。しかし、うちに来てからだんだんと元気がなくなり、葉も少なくなり、数か月前花を咲かせたのを最後に花をつけなくなった。

決して世話を怠っていたわけではない。鉢の底から水が出てくるほど毎日水はやっている。私の出張中だって隣の人が面倒をみてくれる。元気がなくなったのを心配して土もある程度変えたし、しょっちゅう栄養のある米のとぎ汁を与えている。元気がなくなってからは、それでもだめなのかと思い、液肥も与えた。しかし、一向に回復の兆しは見えない。肥料の与えすぎか、とも思ったが、むしろ水不足のように見えるのだ。乾季に水を与えられていないブーゲンビリアと同じ感じがする。水はたっぷり与えられているのに。

花も咲かないし葉も大して茂っていないが、枝は伸びてくる。そしてとげ(どうやら花を咲かせ損なうと増えるらしい)もやたらと増えた。それをどうにかしようと多少剪定し、支柱を高くし、巻きつけ直すことに決めた。そして気がついた。

ブーゲンビリアはつる性なので、格好を整えるために、枝と枝を紐で結んだり、支柱に結わえつけたりしてある。何か所かビニールの紐で固定してあるのだが、それが枝が太くなることによってとてもきつくなっているのだ。枝に食い込んでいる、とまではいかないが、ほどくのは不可能なほどきつきつになっていた。ようやく謎が解けたような気がした。

もともとあったビニールの紐の結び目を全て解いてやり、新しい支柱にゆるく巻きつけて、1週間。たちまち小さな花序がいくつかできた。新しい葉っぱも出てきた。私は小躍りした。それからさらに2週間。今では濃いピンクの花がいくつも咲き、さらに新しい花序も出てきている。

可哀想なブーゲンビリア。長い間きつい紐に縛りつけられてうまく水が吸い上げられなかったのだ。それに気付かず、一生懸命に水や肥料やらを与えていた馬鹿な私。しかし、これでまたしばらくは機嫌よく花を咲かせてくれるだろう。

ブーゲンビリアが咲かなかった数カ月間、うちの表には鉢植えが増えた。花がないのが寂しくて、私が新しい鉢植えを買ってきたのだ。帰ってきて家に花が咲いていると、「おかえり」と笑いかけられているような気分になる。今日からまた2週間、出張だ。2週間後帰ってきた時、まだ笑ってくれているだろうか。

2週間ほど前。
久しぶりに花をつけ、私を大喜びさせてくれた。

現在の状況。
まだ小さなつぼみがたくさんあります!

にほんブログ村 海外生活ブログ バリ島情報へ
にほんブログ村

2013年4月8日月曜日

海賊が跋扈するインドネシア



インドネシアでは海賊が跋扈している。といっても、本物の海賊ではない。海賊版のことだ。インドネシアでも映画やドラマは庶民の娯楽No.1だ。しかもその内容はかなり国際的で、ハリウッドの映画はもちろん、日本・韓国・中国の東アジアのドラマや映画も人気だ。テレビで流れているインドネシアの国産ドラマをのぞけば、映画やドラマはもっぱら海外のものが優勢だ。音楽はさすがに言葉のわかる、国産のものが人気だが、それでもアメリカや東アジアからの音楽もかなり入っている。日本で洋楽を聞く頻度よりも、むしろ多い気がする。

当然CDDVDの需要は高い。何しろ、日本やアメリカのように映画館というものがそんなにない。映画館はつい最近クタに3Dも見られるような最新式のものがオープンしたらしいが、その前はやはりクタにある、モール、バリ・ギャラリアの中にあるものだけだった。インターネットも一般庶民にはそれほど浸透していないので、ダウンロードよりも、やはり昔ながらのCDDVDを購入することになる。

CDDVDはどこでも売っているが、全て海賊版である。正規のものを見たことがない。DVDCDの専門店で売られているのも、全て海賊版だ。何しろ、正規のものが売られているところを知らないし、売られているのを見たことがない。海賊版は、映画・ドラマの宣伝や内容が書かれた紙に包まれ、透明なビニールの袋に入れられ、一枚1万ルピア(約100円)なり。専門店に行かなくても、私の近所の、庶民的レストランが軒を連ねるところでは、最新のDVDCDを持ち歩き、食べている客に見せて売り歩く売り子がいる。私も買わなくても、食べている間に品ぞろいを見せてもらい、こんなものが最近は流行っているのね、なんて情報を仕入れたりする。

しかし海賊版だけあって、質は全然信用できない。基本的には正規のDVDと同じで、メニュー、言語メニューや特典はそのままだったりするが、全然見られなかったり、途中で止まってしまったり(これが一番腹が立つ)する。最初から海賊版なので文句も言えない。正規のものを買えばいいじゃないか、と思うだろうが、どこでも正規のものは見つからないのだから困ってしまう。まあ、正規のものだったら海賊版の10倍の値段はするだろうから、インドネシアでは商売が成り立たないだろうが。

著作権の無法地帯、インドネシア。改善される日は来るのだろうか。

近所のレストランで、売り子が運んできたDVD。
もちろん、全て海賊版だ。

にほんブログ村 海外生活ブログ バリ島情報へ
にほんブログ村

2013年4月5日金曜日

バリ バイク事情



インドネシアにはバイクが多い。特にバリでは公共交通が発達していないこともあり、庶民の足となっている。自動車よりも格段に安いし、場所もとらない。年中温暖で、日本のように極端に蒸し暑い夏や、凍えるような冬もない気候もバイクには最適だ。多少暑くてもバイクにのって風をきれば快適そのもの。雨季も突然の雨に降られる時だけは、やはり自動車のほうがいいが、雨季といえども常に降っているわけではないので、タイミングをみればいい。

しかし何よりバイクがその本領を発揮するのは渋滞の時だろう。バリではジャカルタほどの渋滞はないが、それでも主要道路では渋滞が頻発する。クタ、レギャン、スミニャックといった繁華街に近づこうとすると渋滞は免れないし、デンパサールのJalan Imam Bonjol, Jalan Teuku Umarといった主要道路でも 渋滞は毎日のことだ。その渋滞の中、自動車の間をすいーすいーとすり抜けられるのはバイクの最大の強みだ。それになんていったって、南国の風を切ってバイクを走らせる快感は自動車とは比べ物にならない。

私がバイクに乗り始めたのは、インドネシアに来てからだった。それまでは後ろに乗ることすら多少怖い、危険な乗り物と感じていた。しかし、ここには公共交通がない。それに、せっかくバリにいるのなら、いろいろあちこちに行ってみたい。バイクに乗ろうと決心したが、日本のように自動車学校があるわけでもない。観光客向けの、貸しバイクはあるが、劣悪な質ものものも交じっているらしく、壊れかけのものを貸し、動かなくなって文句を言えば壊したと難癖をつけられ、お金を取られることもあるという。そんなことになったらたまらないし、何より壊れかけのバイクなんて危ないではないか。結局、約15万円で無難に一番普及しているブランドの新品のスクーターを買ったが、買った時点ではどうやって動かしてよいかも知らなかった。もちろん、免許証などない。

バイクの運転練習はほぼぶっつけ本番だった。まずは小さな道で練習、と思っても、バリの小さな道は舗装されていなかったり、メンテナンスが悪かったりで、かえって運転が難しい。アメリカならば広い駐車場で練習、というのが一般的だが、そんな駐車場もない。結局、ぶっつけ本番で慣れていくしかないのだ。

日本人なら、まず、「免許は?」と聞くだろう。しかし、こちらはそれも大雑把である。それでもさすがに私も日本人なので、バイクを買ったばかりの時に、取りに行った。さすがにバイクの免許を初めて取るのにバイクを乗り付けて行ってはまずいだろうと、バイクタクシーで行ったのだが、無用の心配だった。

まず、テストがなかった。私のパスポートと一緒に国際免許証を提出すると、それでバイクの免許がもらえた。ちなみにその国際免許証、普通自動車用のもので、二輪とは書かれていない。しかもその当時既に期限切れだった。一応指摘したのだが、構わないと言われた。40万ルピア(4000)を払い、1ヶ月有効の免許がもらえた。当時私は最高60日間しかインドネシア国内に滞在できないビジネスビザしか持っていなかったため、それ以上の期間は無理だったらしい。しかし、免許を取るために半日仕事を休んだのだが、その許可をもらう際、インドネシア人の上司には「何でそんなもの必要なの?」と真顔で聞かれた。ちなみに、その上司もバイク通勤であった。

1ヶ月しか有効でない免許証を毎月更新に行く時間は私はなかった。また、誰も気にしない規則を何で私だけが馬鹿正直に守らなくてはいけないのだと開き直る気持ちもあり、私は長いこと免許を更新に行かなかった。そしてそのつけは検問のたびに払わされた。

こちらの警察は、ことあるごとに検問を行う。特に、ルバラン(イスラム教の断食明けの休暇)、ニュピ(バリのヒンズー教の新年)などの祭日の前に多い。これは単に警察官が出費の多い祭日の前に小遣いを稼ぐためだ。割と交通が多く、幅の広い道路で片っ端からバイクを止めて、免許をチェックしてゆく。大抵車は対象外だ。そして有効な免許を持っていないと、罰金を要求する。これに、3,4ヶ月に一度は引っかかった。要求される罰金は大抵10万ルピア(1000円)程度。最高25万ルピア(2,500円)ということもあった。大した額じゃないじゃないかと思うかもしれないが、インドネシアでは大した額である。一般的に3万ルピア(300)あれば立派なランチが食べられる。知人によると、捕まったらごねたりせず、さっとお金を渡したほうが賢明とか。ごねたらごねただけ値段が上がるらしい。

検問がよく行われる場所は、Jalan Raya Puputan, Jalan Raya Professor Mohammad Yamin, Bypass Ngurah Rai、サヌールのJalan Danau Tamblinganのバリ・ハイヤットの前などだ。どれも、広めで交通量は多いが、多少バイクを止めても交通渋滞を起こす恐れがない道路だ。そして、手前で検問が見えても、脇道にそれることができないというのも共通している。大型連休の前は、こうした通りは避け、小さな通りを通ったほうが無難だ。しかし、いつもそれを忘れ、捕まってから後悔することが多かった。

一度検問に捕まってから、少し離れたところでどのくらいの人が捕まるものかと観察していたことがある。いやあ、捕まる捕まる。私だけじゃないのね。ほっとするのと同時に、苦笑いをせざるを得ない。これじゃあ確かに警察もいい小遣い稼ぎになるだろう。現在は1年有効な免許を手にいれ、検問を恐れることもなくなったのだが、それでも未だに連休前は大きな道を避けている私である。だって面倒くさいんだもん。

サヌール、Danau Tamblingan通り、バリ・ハイヤットホテル前での検問。


にほんブログ村 海外生活ブログ バリ島情報へ
にほんブログ村

2013年4月3日水曜日

邂逅の森(熊谷達也)


山本周五郎賞と直木賞をダブル受賞した作品。明治末期・大正の東北の山々を舞台に1人の伝統的猟師、マタギの男の一生を描いた佳作だ。読み応えのある本だった。今はほぼ失われてしまったであろうこの自然・伝統・風土が並々ならぬ筆致で描かれ、本の中に1つの世界が完成されている。行間から、森の風、動物の声、猟師の汗のにおいなどがにじみ出てくるようだった。ストーリーとして意外性があるというわけではないが、その世界観が壮大で、また、出てくる人間も非常に人間くさく、読み応えがあった。エンターテイメントとしての小説というより、やはり人間や文化を描く文学、といった位置づけだろう。東北のズーズー弁と、マタギ特有の言葉、それにマタギ独特の哲学。その土臭い世界が何とも新鮮で、かっこよくさえある。この本に描かれる、平凡だが誠実に生きた男の軌跡。それに交わる人々の人生。過ぎ去った時の中に埋もれてしまった世界をこの本は見事に再現してくれたと思う。この本を通してマタギの世界を垣間見ることができ、幸運だったと思う。この本に描かれた、日本の昔ながらの山々を是非訪ねたいと思わせる本だった。


にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

2013年4月2日火曜日

バリ・インドネシアにいない生物



インドネシアは世界的な生物多様性のホットスポットだ。ボルネオやパプアの森林は、多くの生物の住処となり、未だに科学的に発見されていない種も多いという。しかし、私は実はこの国で当たり前と思っている生物がいくつかいないことに気づいた。あまりにも当たり前で、世界中どこにもいると思っていただけに、意外だった生物を紹介しよう。

まず、カラス。バリにはいない。そういえば、インドネシアの他の都市でも見た記憶がない。世界中の都市にいるかと思いきや、私が今まで行ったインドネシアのどの都市にもいなかった。気づかなかっただけだろうか。そして、私は長いことカラスの不在に気がつかなかった。気づいたのは、私の友人である。「何でマレーシアのクアラルンプールにはカラスがいるのに、ここにはいないの?」と。聞かれてもわからない。なぜだろう。人間のいるところではどこでも生きられそうなものなのに。

そして、カモメ。以前、西バリに滞在していた時、いろいろな鳥がいたために、少しは勉強して見ようと、図鑑を購入。私は鳥の中ではカモメが一番好きだったため、図鑑でカモメを探したのだが、なかった。代わりに、「インドネシアにはあらゆる種類の鳥が豊富にいるが、カモメ科はいない」という記述が。ウィキペディアには、カモメ科は「極地を除く全世界の海洋・内水域に生息する」と書いてあるのだが。私の勝手な偏見だが、カモメは鳥の中でも一番、自由の空気を纏っているように感じる。そして、賢く、したたかで、何でも食べる。ある意味、海のカラスとも言えるかもしれない。私はカモメが海を自由に飛ぶ姿が大好きなのだが、残念ながらバリの海にはいない。少し寂しい。

最後はタコ。インドネシア料理にはよくイカが使われる。しかし、タコは見たことがない。なぜだろう、と思ってインドネシア人に聞いて見たのだが、タコ(Octopus)と言っても、わかってくれない。「赤くて、足は8本ある」といったら、カニだと勘違いをされた。カニは10本足じゃなったっけ?日本のたこ焼きが好評であちこちで見るようになったが、中に使われているのはイカらしい。それでも、「タコヤキ」として売られているのだが。西欧でも、タコを悪魔の魚として(魚じゃないと思うが)料理に使わない国はある。しかし、単に料理に使わないだけかと思っていたら、先日、「違うよ、単にいないだけだよ」という答えが返ってきた。本当にインドネシアの海にタコはいないのだろうか。未だにはっきりしないが、誰か知っている人がいたら、教えてください。
にほんブログ村 海外生活ブログ バリ島情報へ
にほんブログ村