2013年8月25日日曜日

31歳、バリ在住、婚活始める。


先日、日本に帰った際、高校の同級生のほとんどが結婚済みということを聞き、ショックを受けた。インドネシア人は比較的結婚が早いため、あちこちで「結婚してるの?」「なぜしないの?」と聞かれていたが、そんなに気にしなかった。アジアを飛び回る仕事が面白く、恋愛なんてあまり目にも入らなかった。自然な出会いがあれば、それに任せるつもりだった。もとより、あまり恋愛気質ではない。2人でいるより1人でいるほうが楽、なんてついつい思ってしまっていた。結果、彼氏いない歴X年にもなる。それでもあまり切迫感はなかった。日本で未婚のアラサーなんて普通、と思っていたからだ。しかし、さすがに30を越え、知らぬ間に周りもどんどん結婚していることを知り、私も焦り始めた。これはぼうっとしている場合ではない、私も流行の婚活とやらをしてみようかと、早速情報を集め始めた。

現地の人という手もあるけれど、やはり日本人が安全だ。というわけで、まずは、婚活サイトへの登録。たくさんあるが、海外在住を扱っているとなると、限られている。また、会費の有無やタイプなども随分違う。お試し検索をしても、バリ在住の独身日本人なんて1人も見当たらなかった。場所を東南アジアに広げても、そんなに多くない。お見合いパーティーにも行けず、検索で当たるのも数人にも満たないということを考えると、多くのサイトの会費は異常に高く感じる。(なので登録しない。)やはり、海外在住で現地で誰かを探す、というのは無理なのかなあ。

あと、婚活について少し学んで痛感したこと。女は年をとればとるだけ損だ。やはり子供を生める年齢が限られているというのが大きいのだろう。男性は年下の女性を好むし、20代で婚活を始める女性も多い。私は、今までの自分の生き方に自信をもっていたし、年をとるだけ輝きの増す女性になりたいと思っていた。27の私は25の私よりも仕事の経験を積み、自信をつけていたし、30の私は27の私よりも輝いている、と思っていた。しかし、自分の中身の成長と女性としての魅力は全く別物だとは気づかなかった。もちろん、中身を認めてくれる男性も探せばいるだろうけど。

「男っていうのは、本能的に女を守りたいものなんだよ。それで、優位に立ててもらわなければ気がすまないんだ。」と友人には言われた。例えば、車で送ろうか、なんて言われたら、いや、自分で帰れるというのは、NG。男は送ってあげることで優位に立ちたいのだから、送らせてあげるべきなんだと。全部自分でやってしまい、できてしまう女性は可愛げがないのだとか。悪かったな。

独立した女、というのが私のモットーだった。正直、男に頼るような女は軽蔑していたものだ。「女」という面を前面に出すのにも抵抗がある。セクシーな服は最も苦手とするところだ。どうやら、ネットで見かけた記事によると、これは、女子校で育った人特有の症状だとか。女子校では、男女の分担がないので、何もかも女の子がやることになる。だから、可愛く「これ、手伝ってー」と男子にお願いし、男女円満に協力して分業するのに慣れていない。男に任せるような作業でも、張り合ってやってしまったりする。私も、まさにこれだ。簡単なことに「えー、こんなのできなーい。手伝ってぇー。」なんて言っている女がいたら蹴り倒したくなるのだ。

30代のキャリア・ウーマンが20代よりももてないのも、生物学的な年齢だけのせいではないかもしれない。何でもできる女には男性も敬遠してしまうのだろう。また、若い女の子のほうが、何をやったって簡単に感心してくれる。若い子が大喜びしてくれるような高級レストランに連れて行ったって、30代の女性なら、当たり前かもしれない。年をとれば、いい意味で成熟、悪い意味で世慣れてきて、新鮮味を失ってしまう。

どうやら私の婚活は色んな困難に直面しそうだ。出会いのなさ、私自信の恋愛偏差値の低さ。しかし婚活自体から得る経験はなかなか大きいかもしれないぞ、と積極的に期待してみたい。

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インドネシアテレビどたばた記



私はテレビを見ない。昔からそれほど見るほうではなかったが、大学で海外に留学し、テレビのない寮に入ってから、すっかりテレビがないことのほうが普通になってしまった。だから、前に家具付のアパートに住んでいた時もテレビはあったけれど見なかった。それなのに、1年と3ヶ月ほど前、家具なしの部屋に引っ越してきてから、テレビを買ったのは、やはり間違いだったと思う。

もともと、テレビは何にもない部屋に入居するのに買わなければいけないもののリストには含まれてなかった。しかし、しばらくして、エアコンと同時に買ったのは、やはりテレビを見たほうがいいだろう、いや、ニュースを知るためにもっとテレビを見ようと決心したからだった。テレビを見ないため、私はひどく世情に疎い。最新のニュースをまるで知らない。社会人としてどうか、というレベルである。同僚の話についていけず、恥ずかしい思いをしたことがあったので、多少高い出費になるが、思い切ってテレビを買ったのだ。

しかし、店の人にテレビを設置してもらったはいいが、実際につけると、画面が映らない。困っていたところに、表に出してあったテレビの箱を見て、「お、テレビ買ったの?」と隣の人が顔を出してくれた。待っていましたとばかり、テレビが映らないことを訴えると、一言。「そりゃあ、アンテナつながないと見られないよ。アンテナは買った?」

え?アンテナ?それって店の人が自動的にやってくれるものじゃないの?自分でやるものなの?聞けば、電器屋さんで、アンテナとケーブルが買えるらしい。テレビを買ったときに、教えてくれなかった電器屋に腹を立てながら、元の店に行って、言われたとおり買ってきた。「どのケーブルがいい?」と聞かれてもわからないので、すべては店の人の言うままに。

さて、買ってきたはいいものの、どうやってつなげればいいのだろう?またもや隣の人に泣きついた。梯子もないので、高いところには付けられない。どこからかもってきた竹の棒にアンテナをくくりつけ、何とかテレビが映るようになったはいいが、やはり低い位置にあるのでシグナルが悪いのか、映像が悪い。せっかく隣人の活躍で見られるようになったテレビだが、あまりの画像の悪さにあまり見るきがしなかった。そして10日後には、竹の棒に付けたアンテナが落ち、まったく見られなくなってしまった。直すのも面倒くさく、テレビはその後半年近く放置され、全くの無用の長物と化してしまったのである。

そこに、インドネシアでもNHKが見られると聞いたのは、半年以上前のことだった。海外のチャンネルも多く含むサービスパッケージがあるらしい。興味をもったはいいが、私の中でテレビ関係のことの優先順位は低い。実際に行動に移し、申し込んだのは2ヶ月ほど前のことだった。申し込めば、専門の人が来て、アンテナもお任せで設置してくれると聞き、大喜びだった。自分でアンテナつけるのは、勘弁して欲しい。

果たして、テレビはきれいに見られるようになった。NHKや、CNNABCなどのニュースも見られた。既にテレビを購入してから、1年近く経っていた。これで、当初の予定通り、私はニュースを毎日チェックするはずだった。が、人間、なかなか習性は変らないものである。10年以上もテレビを見ない生活をしてきた私が、テレビが見られるようになったからといって、いきなり見るようにはならない。仕事から帰ってくれば、ゆっくりしたい。静寂を好む私にとって、テレビからの音は騒音以外の何者でもない。テレビで情報を仕入れるより、音楽を聴いたり、本を読むほうがいい。その行動パターンは見事に変ることがなかった。

そして、数日前久しぶりにテレビをつけてみれば、何もつかないようになっていた。そういえば、契約してから1ヶ月以上経っている。毎月の使用料を払うのを忘れていたらしい。しかし、この1ヶ月でテレビをどれだけ利用したことだろう。これからも私は、大して見もしないテレビのために、毎月使用料を払い続けるのだろうか。

私にとって、何とも高い買い物になってしまったテレビ。やはり、ものを買うときは、普通皆持っているからとかいうのではなく、自分の行動や性格を考え、慎重にするべきだ、と思った。

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2013年8月21日水曜日

さがしもの(角田光代)



本をテーマにした短編集。どれも、作者の本に対する愛情が伝わってくる。人生の場面場面で重要な役割を果たす本。どれもそのシーンを切り取った小説だ。そして、この作者の作品でいつも思うのは(といっても、まだ読んだことがあるのは、「対岸の彼女」「八日目の蝉」2作のみだ)、どれもどことなく品があり、いい余韻がある。

この本で一番心に残ったのは、「不幸の種」という話だ。不幸を呼び込むとして、手放した本。しかし、それを手にし、決して幸福とは言いがたい人生を歩いてきた友人は言う。「私の思う不幸ってなんにもないことだな。笑うことも、泣くことも、舞い上がることも、落ち込むこともない、淡々とした毎日のくりかえしのこと。そういう意味でいったら、この本が手元にあったこの数年、私は幸せだったと思うけど。」人生の浮き沈みを経験するたびに、その本は意味を変えてゆく。自分とともに 成長してゆく本。

あとがきで、作者自身の、そうした体験が書かれている。小学2年生の時おもしろくないと投げ出したサン・テグジュペリの「星の王子さま」。そして高校2年でその本に再び出会ったとき、その本の描く世界の深さに気づく。偶然だが、私も「星の王子さま」については、全く同様の経験をもっていた。私が読んだのは小学45年生の時だったが、なぜ大人のいう名作とはこうもつまらないのかと思った。再び読み返したのは、数年後だった。あれは、童心を失くした大人のための児童書であって、実際の子供のための本ではない、と今になって思う。「星の王子さま」が理解できず、大人の価値基準にうんざりした子供は私だけではなかったらしい。

本というのは、相性もあれば、タイミングもある。どんないい本でも、タイミングが悪ければ心に響かない。だから、あとがきの作者の言葉には納得させられた。
「つまらない本は中身がつまらないのではなくて、相性が悪いか、こちらの狭小な好みに外れるか、どちらかなだけだ。そうして時間がたってみれば、合わないと思っていた相手と、ひょんなことからものすごく近しくなる場合もあるし、こちらの好みががらりと変わることもある。つまらない、と片づけてしまうのは、(書いた人間にではなく)書かれ、すでに存在している本に対して、失礼である。」

大した読書歴もないくせに好き勝手な書評・感想を書いている人間としては、耳が痛い限りである。


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2013年8月19日月曜日

乙女なげやり(三浦しをん)



以前、この作者の直木賞受賞作「まほろ駅前多田便利軒」を読んで、どうも漫画っぽいな、と思ったのだが、あながち間違いではなかったらしい。このエッセイ集では、筆者のオタク的生態および妄想がつぶさに描かれている。つぶさに、と言っても、林真理子が以前どこかで書いていたことだが、むしろ小説のほうがエッセイよりも自分が出るらしい。しかしどれだけ面白く脚色・誇張されているかは知らないが、文章の端々からオタク臭がプンプン臭ってくる。私自身もかなりの漫画好きなため、漫画にはまった自堕落な生活は私も経験ありで共感できるのだが、しかしこの作者はどうやら私の比ではなさそうだ。大したことのない日常をエンタータイメントに変える、素晴らしい妄想の数々。そしてどうしたらこんな突飛な表現ができるんだという文章表現。さすが作家だ。しかし、漫画ばかり読んでいてどうしてこんな文章が書けるようになるのか、謎だ。やはりエッセイに書くのは格好悪いヘタレな部分だけで、実際はやはり、まともな本や文学もたくさん読んでいるのだろう。

このエッセイ、読んでよかった、というものではなかったが、オタク・腐女子の生態を知りたい方にはいいかもしれない。

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2013年8月18日日曜日

インドネシア独立記念日



今日は、インドネシアの独立記念日だった。当然休日だが、週休2日で土日が休みの私はあまり関係ない。振り替え休日があるわけでもないので、むしろ損した気分だ。この日にはあちらこちらで独立記念日の催し物が路上駐車やパレードあり、そこら中で道が渋滞するので、少々煩わしいとさえも思った。住まわしてもらっている国に対して恐縮だが。

独立記念日前後には、街中にインドネシアの国旗や、それをモチーフにした飾りがあふれる。インドネシアの国旗と言っても日本人でわかる人は少ないかもしれないが、日の丸に負けず劣らずシンプルな国旗だ。上半分赤、下半分白、というものだ。当然、独立記念日を祝う色も赤と白になる。我らが日の丸と同じだ。そのためか、せっかくの独立記念日の飾りが、デザインによってはインドネシアの国旗というよりも、日の丸に見えてしまい、妙な気分になる。しかし、余計なことは言うまい。インドネシアの独立とは、占領していた日本とオランダからの独立であり、それを祝う飾りが日本の国旗に見えると言ったら不謹慎かもしれない。

独立記念日の飾りのひとつ。
日の丸に見えませんか?


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