2013年7月31日水曜日

インドネシア入院体験



先週、突如として高熱を発し、入院した。どうやら、というか予想通りというか、デング熱だったようである。

今回の高熱は明らかに風邪とは違っていた。風邪なら喉の痛みや咳、鼻水など、熱以外の症状があるものだが、他の症状は無く、ある朝目を覚ませば、39度超の熱。強いて言えば、頭が痛かったぐらいだろうか。明らかに風邪とは違う高熱に、自分でも、デングかな、と思った。バリでは特にめずらしい病気ではない。

デング熱の場合、数日は症状が出るため入院したが、私の症状は至って軽く、半日高熱にうなされた後は、熱も下がり、他の症状も無く、平然としていた。普通は関節痛、また、ひどい場合は出血などもあるらしいが、私の場合は皆無だった。そのくせ、職場で契約している保険のおかげで自動的に個室に入れられ、バスルーム付の個室に4日間居座った。我ながらいい身分だ。

生まれてはじめての入院体験なので、日本の病院との比較は、残念ながらできない。しかし、バリでもかなり大手で緊急や外国人対応も可能な病院だけあって、なかなか居心地は良かった。バスルームのシャワーが温水にならなかったのは、まあ、インドネシアなので仕方がないが。

しかし、1つだけ文句を言いたいことがあった。私は小麦アレルギーだ。そして、入院することが決まったときに、はっきりそれを伝えた。そして、小麦アレルギーと書かれた識別のための腕輪をはめられた。毎食のお膳にも、「小麦アレルギー」と書かれた小さな紙がのっていた。それなのになぜおやつにパンがでるのだろう?そして、「小麦アレルギー」と書かれたメモがついているお膳に、なぜマカロニスープがのっているのだろう?マカロニが小麦でできていると知らないのだろうか?それとも、グルテンフリーのマカロニ?いやいや、そんなことはないはずだ。アレルギーの人の少ないインドネシア、わざわざグルテンフリーのものなど用意がある訳はない。

私としても小麦食品とわかっていて手はつけないから、別に問題は起こらなかったが、しかし一歩間違えばこれは医療裁判沙汰だぞ、と思った。それを見舞いに来た友人に言うと、「インドネシアではこんなことで裁判なんてならないよ。せいぜい苦情程度だよ。」と言われた。でも、アレルギーってかなり深刻なことにだってなり得るんですけど。アレルギーの人が何故か少ないインドネシアでは、アレルギーの認識はまだまだ浅い。


病院食。小麦アレルギーって言ってるのに、
このマカロニスープは何なんでしょうか・・・。

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2013年7月27日土曜日

永遠の0(百田尚樹)


面白いだけではなく、読んでいて勉強になる本が好きだ。そしてこれはまさにそんな本だった。面白い、勉強になる、そして感動する。一石三鳥で、話題の本というのもうなずける。

真珠湾から、ミッドウェー、ガダルカナル、ラバウル、レイテ、沖縄戦、特攻まで、太平洋戦争における戦闘機パイロットが辿った道を通し、太平洋戦争の流れとそこに生きた戦闘機乗りの生き様を教えてくれる本だった。きっと、綿密な取材を通して、できるだけ史実に近いものを書こうとしたのだろう。

しかし、この壮大な史実に取材された話の中にフィクションさを添えているのが、主人公の現代的性格だ。この主人公は、あらゆる意味で、現代のイデオロギーを体現している。徹底的な階層社会である軍において、階級下のものとも分け隔てなく接し、物腰もやさしい。辣腕のパイロットでありながら、自分の凄腕を自慢することがなく、謙虚。階級下のものを庇うのに、上官に口答えさえする(上官の命令が絶対の軍隊において、これは許されないことだ)。家族を心から愛し、絶対に生きて帰ることを誓い、周囲のものにも命の大切さを教える。若干26歳という設定でこの人間としての素晴らしさは、文句なしにかっこいいのだが、あまりの完璧さに、せっかく史実によく取材されたこの物語で、フィクションの作り物さを逆に感じてしまったのは私だけだろうか。

これだけ詳細にわかりやすく、太平洋戦争の進行をそこで生きた兵士たち(海軍航空隊に限られるが)の目線を通教えてくれる本はないだろうと思う。しかし、それだけではない。複数の証言者の話、祖父の過去を探る姉弟のやりとり、そして命を何より惜しむ主人公の凄腕パイロットの存在で繰り返し強調されているのは、日本軍の人命軽視の事実だ。作者は、物語の多くの登場人物の人生や視点を通し、戦争という悲劇の原因となった日本軍の歪んだ体質や問題を示し、読者に訴えているように思う。

例えば零戦。太平洋戦争前半無敵だった戦闘機だが、この話ではその致命点が何度も語られる。攻撃力は卓越しているが、防御力は無いに等しく、初心者パイロットは勿論、熟練パイロットでも一発の被弾で命を落としていってしまう。対するアメリカの戦闘機は、防御重視で、「十回殴られて、ようやく一回殴り返すような戦い」ができた。いくら殴られても、死なない限りは、その経験を生かして次に結び付けられ、熟練パイロットを養成することができた。

零戦の設計に限らず、この作品で、太平洋戦争のあらゆる場面で、日本は兵士の命を軽視した無謀な作戦を立ててきたことが紹介されている。相手の戦力も知らず、場当たり的に少数ずつ投与され、充分に軍隊として戦えないまま無駄に消耗された兵隊たち。特攻に至っては、その成果への期待よりも、「軍が決死の覚悟で本土を守る」という愚かな軍隊の大和魂のアピールのために若い学徒が大勢を犠牲にされた。人一人の命に尊卑はないはずだ。しかし、軍の仕官や指揮官のくだらない面子や保身のために、何万という兵隊が犠牲になったのは、本当にやるせない。さらには戦後、命を賭して戦った男たちが周囲から白眼視され、辛い戦後を生き抜いたことも描かれており、戦争の理不尽さは終戦とともに終わったのではなかったことを知った。

しかし、ラストがどうも腑に落ちないのは私だけだろうか。衆人環視の場でさえ1人特攻への志願を拒否し、卑怯者と呼ばれようとも、臆病者と罵られようとも、妻子の元に生還することだけを考えた男。特攻隊を志願した友には、不時着を進めていた彼が、なぜ、特攻で生還の最後の鍵を手にしながら、それを教え子に譲り渡したのか。以前に自分の命を庇ってくれたお礼だろうか。しかし、生還の鍵とはいっても、それを活かせるだけの操縦の技量がなくては全く無駄になってしまう。それを確実に生かせるのは、教え子ではなく、自分自身だということはわかっていただろうに。物語として、悲劇で終わらせなくてはいけない、そのためのこじつけという気がしてしまった。

何かしら批判しないと気がすまない性格なのか、多少ケチをつけてしまったが、大変読み応えがあり、勉強になる、素晴らしい本だった。今年末に映画が公開されるようだが、是非見てみたい。
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2013年7月23日火曜日

レインツリーの国(有川浩)



久しぶりのライトノベル。単純なストーリーの現代風の恋愛小説、といっても出会いがインターネットで、やり取りがメールというのは現代的だが、むしろ登場人物は純朴、真面目そのものだ。前に読んだ有川浩の「空の中」はSF味で、テンポの速さや展開も典型的なライトノベルだったが、この小説はそんなスタンダードなライトノベルよりも、いささかテーマが真面目で、エンターテイメント性があまりない。

忘れられない本の感想をきっかけにインターネットで知り合った20代後半の男女。互いに惹かれあい、会うことに決めるが、彼女には難聴という障害があった。彼女を理解しようと歩み寄る彼と、どうせ他人にはこの痛みはわからないと投げやりになる彼女。特別に何が起こるというわけでもなく、2人のメールのやり取りで物語りは続いていく。

あとがきで、作者は、「書きたかったのは『障害者の話』ではなく、『恋の話』です。ただヒロインが聴覚のハンデを持っているだけの。」と書いている。実際、そんな感じだ。テーマは障害というよりも、人それぞれの痛み、というべきだろう。

この物語の中で、全く種類は違うが、彼氏のほうもやはり他の誰にもわからない痛みを抱えている。障害だからといって、壁を作り、いじけてしまっているのは彼女に、彼氏は、その痛みを突きつける。自分は障害は持ってはいなくても、やはり彼女が理解できない痛みを抱えているのだと。皆、それぞれに何かしらの悲しみや痛みを抱えている。しかし、その痛みは他人が理解することはできないし、本人も他人にはわかるはずもないと思っている。そして自分の痛みを盾に、自分が相手の痛みをわからないことに気づきもしない。私にも身に覚えがあるので、身につまされた。悲しみや痛みなんて、比べられるものではないのだけれど。

この作者の文章は、気取っていなくて、さらりと読める。読み応えがある、とは言えないが、疲れたときにでも、別のヒット作品をまた、是非読んでみたいと思った。

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2013年7月20日土曜日

野心のすすめ(林真理子)



要約すれば、「少年よ、大志を抱け!」とか、「夢は大きくもて!」という、ありふれたメッセージだ。普遍的だが、今の社会ではどうも陳腐と思われがちだ。しかし、ゼロから始めて何でもやってのし上がった作者の若い頃の話がいろいろ盛り込まれていて面白く、なかなか説得力もある。

どうやら作者、林真理子は若い頃、テレビに出たりかなり派手なことをやっていたらしいが、私の年代でそれを知っている人はあまりいないのではないかと思う。割と本を読んでいる部類に入る(と思う)私も、あまり林真理子の本は読んだことない。話題になった「下流の宴」は読んでみたいと思っているが。
 
しかしこの本に描かれていた、作者の若い頃のないないぶり、そこからいかにのし上がったという話はなかなか興味深かった。この作者程ではないが、私も野心がある人間の部類に入るだろう。そして、昔見ていた夢は実際に叶えてきた。しかし、私はこの作者のように、何もないところから始めたわけではないので、こういう、自分の成功をゼロから築いてきた人には、やはり感心してしまう。私はやりたいことをするお金もない、という状況に置かれたことはない。この、わき目もふらず、恥もかなぐりすてて全てをかけて突き進んできた作者のハングリー精神には圧倒されてしまう。

30を過ぎ、いろいろな人に出会い、人それぞれの人生、その人なりの「成功」を手にできるかどうかは、才能や頭のよさよりも、意志や本人の自覚をもった生き方ができるかどうかのほうが大きいことがわかってきた。この本で「野心」と作者は呼んでいるが、もっと一般的な言葉を使えば、単純に夢ということだろう。自分の夢をいかに自覚し、具体化し、それに向かって突き進んでいくか、改めて考えさせられた。ある程度昔の夢は叶った今、これから先の未来の夢を描く必要がありそうだ。
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2013年7月15日月曜日

断食、始まる



気がつくと、周りでは断食が始まっていた。1年に一度のイスラムの行事、断食(ラマダン)。どうやら先週から始まっていたらしい。世界一のイスラム大国、インドネシアでもバリでは現地の人はヒンズー教が主だが、他の地方から来たイスラム教の人も実は結構いる。うちの事務所では、半数がイスラム教で、断食をしているはずだ。イスラム教徒にとって、断食は、自身を清め、節制し、精神性を高める大切な行事だ。

断食中は日の出ている間、何も食べることも飲むこともできない規則となっている。じゃあ日の出直前に食べたほうがよさそうだと思うが、そうもいかない。朝食は空が白み始める頃には食べ終えていなければいけないので、皆、朝3時とか4時に食べ始める。そして、長い一日を終えた後、日没とともに再び飲食することが許されるのだ。

宗教一般に関して「面倒くさいもの」としか思わない罰当たりな私だが、やたらと戒律、規律の多いイスラム教の行事の中でも、この断食は私にとって特に理解不能なものだ。胃袋がもたない私は、毎年、この断食を行う同僚を見て感心する。彼らは平然とした顔で、「慣れると大したことない」とか、「断食は体にいいから、一度やってみれば?」なんて言うが、実際、よくもまあ、何も食べずに1日中働けるものだと思う。しかし、他人のやることにどうこういう筋合いはないが、異文化・異教徒の私にとっては、どうしてもこの断食の弊害のほうが目についてしまう。

まず、一見、普通通り働いているようにみえるものの、日の出前に朝食をとるために睡眠時間を削られ、日中の栄養補充ができないため、やはり集中力に欠き、注意力散漫な気がする。断食月の間は、日没ちょうどに家で食事を取るため、皆、早めに帰宅する。出勤時間は同じなのに。イスラム教徒の人が、断食月に残業することはどんなに仕事がたまっていたとしてもありえないだろう。そして、断食している間はスタミナがなく、疲れやすいので、面倒くさいこと、大変なことは後回しとなる。断食月にイベントなど計画しようものなら、誰も出席しないし、イスラム教徒の手前、食べ物を提供することさえはばかられるので、悲惨なことになる。この聖なる月には、あらゆる経済活動は停滞するので、決して生産的な月とはいえない。

また、イスラム教徒は、「断食は体にいい」と断固として言うが、それはむしろ信仰であって、実際にはいろいろな健康的弊害が認められている。その中でも衝撃的なのが、妊婦の断食による胎児への影響だ。

妊娠中に断食をした妊婦から生まれた子供は、そうでない子供と比べて体が小さく、障害をもつ割合は20%も高い。しかも、特に妊娠初期に断食をした妊婦からの子供にその影響は顕著だ。一般に、妊婦・授乳中の母親、病人などは、断食が免除されている。しかし、妊娠の一番初期となると、自分が妊娠していることを自覚していない場合も多いだろう。妊娠を知らせてくれる体の変化も、断食の中ではわかりにくいかもしれない。断食で生理不順になったり、脱水症状で気分が悪くなることはよくありそうだ。妊娠を告げるはずのつわりや、生理が来ないことも、断食による体調不良にまぎれてしまい、妊娠がわかるのが遅れることもあるのではないか、と思う。神へ祈りを捧げるための断食で、生まれた赤ん坊に障害が出るだなんて、なんたる皮肉だろう。イスラム教の神様もなんて理不尽なことを強いたものだと思ってしまう。こんなことを防ぐために、既婚の出産可能年齢の女性には断食を免除したほうが無難だと思うのだが、そんなことを言おうものなら、イスラム教徒への冒涜と取られかねない。

断食をしている妙齢のイスラム女性を見ると、つい心配になってしまう。もしかして、お腹に赤ちゃんいる可能性ない?妊娠中は神様よりも、まず赤ちゃんのことを考えてしっかり食べようね、と心のなかで呼びかけてしまう。いや、まったく大きなお世話なのだけれど。

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