2014年1月27日月曜日

ヘビーローテーション in インドネシア



先週末、5年間のインドネシア生活のなかで初めてカラオケに行った。カラオケはインドネシアにもあるが、日本ほど一般的ではない。バーなどで一般客の前で歌うようなのも多く、日本で一般的なカラオケボックスは限られている。それがあるのも都市の中心だけだ。その代わりに、インドネシアはギター人口が多い。かなりの男の人がギターを弾け、適当にギターを弾きながら皆で歌う、ということができるのだ。

もともとカラオケ好きな私だが、1人で行ってもつまらない。先週友人からお誘いがあったので、大喜びで参加した。集まったのは、バリ在住の外国人、スペイン人、カナダ人、タイ人、日本人の私と、インドネシア人1人という国際色豊かな顔ぶれ。勿論、共通語は英語。インドネシア語でも大丈夫だっただろうが。

カラオケボックスに入ってみて、驚いた。インドネシアと侮ることなかれ。近代的なカラオケボックスで、コンピューター操作で歌が入れられる。昔ながらの本で歌を探さなければいけないかと想像していたので、大満足。しかも、あるのはインドネシア語や英語の歌ばかりではない。日本語、中国語、ハングルのメニューも充実。さすがに日本語の曲は日本ほどたくさんはないが、それでも90年代の曲なども結構あって、まあ合格。どちらにしろ、皆が歌える曲がいいので、英語の曲が中心になるが、我が青春ソング2曲も日本語で歌って、私は上機嫌だった。

3時間のカラオケの一番最後、締めくくりに入った曲。何か聞き覚えが・・・。AKB48の「ヘビーローテーション」だった。私は入れていない。自慢じゃないが、ただでさえ流行ものには疎いのに、長く日本を離れいるため、AKBや昨今のアイドルグループの歌はひとつとして歌えない。

入れたのは、インドネシアの友人だった。歌ったのは日本語。歌詞は、誰でも歌えるようにアルファベット表示してある。この歌は、リズムはいいが、決して歌詞が早くない。だから、外国人でも文字を追いながら簡単に歌える。

「何でこんなの歌えるの?」
てっきりインドネシアでも実は流行っているのかと思ったら、こんな答えが返ってきた。

「学生の時、国際交流のイベントで、代表として日本に招待されて、色んな国からの学生と交流したんだ。その時にこれ日本で流行っててね、皆で踊ったんだよ。」

なるほど。しかし、カラオケのラストにヘビロテはまずかった。この歌はものすごく後に残るのである。

「頭の中 ガンガン鳴ってるMUSIC ヘビーローテーション」まさにそのとおり。ヘビーローテーション、その名前のとおり今日一日仕事をしながらこの歌が頭の中をずっとまわっていた。

頭の中から離れないついでに気になってネットで調べてみた。すると、AKB48の姉妹グループ、JKT48の歌うインドネシア語版ヘビーローテーションを発見。早速聞いてみた。英語の部分はそのまま、日本語の部分だけインドネシア語になっている。歌詞はどのくらい似ているんだろう?と思いインドネシア語の歌詞を検索。日本語の歌詞と比べてみた。

結果。インドネシア語と日本語のヘビロテはほぼ同じである。これはすごい。普通ここまで忠実に歌の翻訳はできない。例えば、英語の歌を日本語に訳そうとすると、大抵曲の中に言葉が入りきらなくなる。日本語の曲を英語や中国語にしようとすると、適当に内容を足さなければいけない。限られた音の中に入れられる意味が多いのだ。

それが、このインドネシア語と日本語のヘビロテではほぼ一対一対応になっている。ところどころある英語「ヘビーローテーション」「イマジネーション」もそのまま。振り付けは、歌詞と関連させているところも多いが、歌詞が変わってないため、これもそのままで大丈夫。日本語とインドネシア語では語順が違ってくるのだが、この翻訳は本当よくできている。ほぼ直訳に近いような内容だが、それでも曲にちゃんと言葉があっている。

曲の翻訳は本当に難しい。テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」の中国語版と日本語版はほぼ同じ内容で、この翻訳は傑作だと思っていたのだが、このヘビロテ・インドネシア版も負けるとも劣らない。

でも、このヘビロテ・インドネシア版、少しは流行っているのだろうか?ちっともテレビを見ない私が何も知らないだけなのだろうか。それにしても街中で聞いたことがない。流行っている曲は大抵どこかのレストランやお店のBGMなどで聞くものなのだが。インドネシアの友人は、カラオケでこれを日本語で歌った。インドネシア語ではなく。案外彼女もインドネシアバージョンがあるなんて知らないのかもしれない。
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2014年1月25日土曜日

食物アレルギー人間の嘆き in バリ



この一週間、イベントでホテルに滞在していた。組織内の恒例のイベントだが、さすがにバリだけあって、リゾートホテルで催される。この時ばかりは仕事とはいえ開放的な気分になり、お祭りムードが漂う。私も毎年楽しみにしているのだが、今年は思わぬ落とし穴があった。

1日目の昼、ビュッフェ形式のランチで皆にならい、料理をお皿に取ろうと列に並んでいたところ、ホテルの従業員がラップされたトレイを運んできた。2,3人分はあろうかという量である。「グルテンフリー?」と聞かれて、理解した。私の小麦アレルギーはあらかじめホテルに連絡されており、わざわざ気を遣って別に料理を用意してくれたのだ。

その気遣いはありがたい。大変ありがたいのだが・・・しかし、正直言ってありがた迷惑だった。遠路はるばる外国から来た多くの参加者を差し置いて、私だけ特別扱い。ものすごく肩身が狭い。組織の上層部や取引先という、本物のゲストもいたというのに。そして、1人では絶対に食べきれない量だ。

しかもビュッフェで並べられているのは、スタンダードなインドネシア料理で、基本的にグルテンフリー。もともとインドネシアは熱帯で、小麦は育たないので、小麦が含まれている(私が食べられない)地元の料理というのはほとんどない。ほとんどは私も普通に食べられる料理が並んでいるのに、なぜわざわざ特別食を用意する必要があるのか?

さらには、用意されたグルテンフリー特別食には、マカロニ料理があった。グルテンフリーのマカロニだろうが、こちらとしては見た目小麦かそうでないか見分けがつかないものは危なっかしくて食べられない。(食物アレルギー人間の本音参照。)結局マカロニ料理には手をつけず、他のものも大量に残すことになってしまった。

しかし、これはまだ序の口だった。次はその日のディナー、全員参加の歓談の席でのことだ。そのディナーでは、あらかじめ3種類のコースから選べるようになっていた。私は小麦が入っていないはずのインドネシア料理のコースを選んで、それが出てくるものだとばかり思っていたのだが・・・。他の誰よりも早く私のところに運ばれてきたのはやはり特別食。頼んだメニューではない。前菜、メイン、デザートと運ばれてくるのではなく、私にだけは最初に全部運ばれてきた。

「グルテンフリーサラダです。」(味付けのないマカロニサラダ。グルテンフリーのマカロニなのだろうが、なぜマカロニをわざわざ加える必要があるのでしょう?他の人のサラダは普通のドレッシングのかかったグリーンサラダだったのに。)

「グルテンフリーチキンです。」(味付けのない蒸し鶏。3人前はありそうだった。インドネシアの鶏料理で小麦の使ったものなんて見たことないんですけど?せめてソースつけてください。)

「グルテンフリーライスです。」(そもそも小麦グルテンを使ったご飯ってあるんですか?それは麦ご飯と呼びます。しかも他の人は普通の白ご飯なのに、なぜ私の「グルテンフリーライス」とやらは褐色なのでしょう?サフランライスにも見えないし。)

「デザートのグルテンフリーフルーツです」(だからそのグルテンフリーが意味不明です)

これは一体何のジョークか嫌がらせ?私が頼んだはずのナシ・チャンプル(インドネシアの盛り合わせ料理)は一体どこ?今まで色々なところで少なくとも100回以上はナシ・チャンプル食べてきたけれど、問題があったことなど一度もない。なのに、私はこの味のない特別食しか食べなくてはいけないのでしょうか?

ねえ、ホテルさん、知っていますか?塩にグルテンは含まれていません。だから鶏に塩味くらい加えてくれてもよかったんじゃないですかねえ。焼き鳥だって、アヤン・バカル(インドネシア風鶏の照り焼き)だって、普通に食べられますよ。ケンタッキーフライドチキンは遠慮しますけどね。

ドレッシングだってグルテンが含まれているのなんてほとんどありません。だからサラダにドレッシングかけてくれても悪くはないと思いますが。さらに意味不明なのはこのマカロニ。いくらグルテンフリーだろうとわかっていても、申し訳ありませんが残させていただきます。

「特別食なんて用意してくれなくていいです。ただ、どれに小麦が含まれているかだけ教えてください。それも無理なら別にいいです。自分で食べられるものは判断しますので。」と言ったのだが、無駄だった。ウエイターに何を言っても、バリ人特有の最強の笑顔で、はい、はい、というだけで埒が明かない。暖簾に腕押しだ。結局、特別食はそのホテルにいた3日間続いた。

ビュッフェ形式のランチなら、特別食が来る前にとりあえず早く食べ物を取ってしまう「あーらごめんなさい、もう取っちゃいました」作戦ができるかとも思ったが、無理だった。食事時にまず真っ先に私の特別食が運ばれてくるのである。しかも、毎食かならず含まれているのはグルテンフリーパスタ。周りでパスタを食べている人はいなかったので、周りがパスタだから、という理由ではない。

結局3日間、私は特別食を用意され、メインのグルテンフリーパスタ以外のものを食べ、多くの食べ物を残し、食べ物とホテル側の配慮を無駄にすることとなった。しかし、楽しみなはずの食事をこんなに苦痛に感じるとは。これは一種のいじめです。

アレルギーということで、作るほうに神経を使わせてしまっているのは申し訳ないと思っている。でも、多分、ホテル側はグルテンが何だかきっとわかってないんだろうな、と思う。グルテンは、小麦に含まれているのだということをしらない。小麦がどんなところに使われているのか知らない。だから、何をどうしたらグルテン除去食になるのかがわからない。とりあえずグルテンフリーのパスタには「グルテンフリー」と堂々と書いてある、だから安全だろう。でも、他の食品、例えば米、野菜、肉、調味料などには特別「グルテンフリー」なんて表示していない、だから使ったら問題あるかもしれない・・・多分そんな認識。

いつだったか、飛行機の機内食でグルテンフリーを頼んだため、アイスクリームがりんご(丸ごと。皮をむいたものではない)に化けたことがあった。そのくせ、おやつには他の人とは違うグルテンフリーマフィンがでてきた。楽しみにしていたハーゲンダッツのカップアイスがお預けになり、「ちょっと待って!バニラアイスクリームのどこに小麦が使われているっていうんですか!」と抗議したかったが、多分あれも似たような理由なのではないだろうか。グルテンフリーとわざわざ書いてあるものは安全、でもその他のものは怪しきは疑うべし、という方針なのではないだろうか。

特別食を用意するより、ただ、アレルゲンを表示してくれれば、または教えてくれればそれでいい。あとは自分の責任で勝手に選んで食べるから。一人だけ特別扱い、しかも味のない食事2,3人前なんてお願いだから勘弁してほしい。

とりあえず、イベントが終わってほっとしている。もう誰にも気兼ねをせず、自分で好きに食べるものを選べる。この自由のなんとありがたいことか。

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2014年1月20日月曜日

祝・ブログ一周年



Happy Birthday to my dear blog! 
早いものでこのブログも一年経ちました。

最近は少々面倒くさくなってきて、アップのスピードもだいぶ落ちましたが、今月はちょっとがんばってみました。ブログ書きたいときとそうでないときと、波があるんだよね・・・。

でも、始めてみてよかったと思うのは、日記を書くよりもやりがいがあり、だからこそ続くということ。多分定着した読者なんて家族ぐらいのものだと思うが、統計を見るとアメリカ、インドネシア、中国などからもアクセスがあり、世界のどこかから私のブログを見てくれている人がいるのだと思うと、それだけで嬉しい。もっとも、何かの拍子に迷い込んだだけの人も多いかもしれないけど。

これまでのページビューは約92001日平均約25 PVといったところ。そのうち約3分の2が日本からのアクセスだ。一般のブログというのはどのくらいアクセスがあるものなんだろう?と思ってちょっと調べてみたところ、約60%のブログは一日平均アクセス数が10以下らしい。とすると、私のブログは優秀なほうなのかな?ちょっと嬉しい。最初は家族以外誰も見ないかな・・・と思ってやり始めたブログなので1日平均約25 PVでも、かなりほくほくしている。

やり始めてわかったことは、頻繁に更新すればそれだけアクセスは増えるということ。努力が確実に報われる、そんな感じで嬉しいではないですか!調査から見ても、やはりアクセスが一日101以上の人気ブログは、更新頻度が全然違う。

趣味でやっているブログなので、そこまで本腰を入れて取り組む気はないけれど、やっぱり少しずつでもアクセスが増えるといいな。書評だか日記だか海外生活ブログなのだか趣旨の全くはっきりしない適当ブログですが、これからもどうぞよろしくお願いします!

2014年1月19日日曜日

成績と子供の幸せ・その2



昨日、「世界の子供の幸せと学校の成績」の記事を書き、思い出したことがあった。
2,3ヶ月前、中国に出張に行ったときのことだ。たまたま、泊まったホテルが街の中心近くにある中学校のまん前にあった。小学校もその隣だ。最近の中国の都市部の学校の典型のような、新しくて近代的、おしゃれでかっこいい大きな校舎だ。

時、目を覚ましてふと窓の外に目を向けると既にたくさんの生徒が学校へと向かっている。時半にもなるとその列は途絶え、皆校舎の中だ。7時半から授業が始まるらしい。そして、午後6時過ぎ、仕事を終えてホテルに帰ってきた私が再び外を見ると、まだ校舎の明かりが煌々とついている。ほとんどの教室にまだたくさんの生徒の影が見えた。そして、7時を過ぎてもまだ多く残っていた。



 「ねえ、もう夜なのになんでまだ生徒がいるの?まさか、まだ授業があるわけじゃないでしょ?」中国人の仕事仲間に聞くと、
「ああ、親の迎えを待ってるんじゃないかなあ。まあ、夕方まである授業もあるかもしれないけど。」
「親の迎え?中学生でしょ、幼稚園児じゃあるまいし。何で迎えが必要なの?」
「だって危ないじゃない。遠くから来ている子だっているだろうし。」
危ない?私は首をかしげた。治安の良し悪しは街の見た目でかなりわかる。そこは、近代的に整備された、新しい都市の区画の真ん中で、ごみひとつ見当たらない。道は広々とし、人々の生活臭も感じられない。東京の私が住んでいる辺りよりも安全に見えるのだが。

「送り迎えが必要なほど遠くから来るの?ここ、公立でしょ。」
校区などというものはないのか、と思って聞いてみると、いい学校には遠くからでも生徒が殺到するとのこと。ホテルから見下ろせるその学校は、確かに相当しっかりした設備をもった学校のように見えた。きっと競争率の高いいい学校なのだろう。

夜が更けるにつれ、生徒の数は少しずつ減っていき、教室の明かりもひとつずつ消えていった。それでも、夜10時になってもまだ明かりがついている教室もあり、居残っている生徒の影がわずかだが見えた。あの子達は10時間ちょっと後にはまた登校するのだろう。

私が泊まったホテルのビルは、小中学校にすぐ近いこともあり、下の階の多くが補習塾になっていた。夜9時過ぎになると塾を終えた児童・生徒でエレベーターがごった返す。こんな遅くまで勉強させられるのなんて可哀想な子達だなあ・・・と思い、ふと気がつく。そういえば私だって同じだったよな、と。

今から20年以上も前のことだ。小学校は午後2,3時で終わっても、家に帰り、早い夕ご飯食べて、5時半から時半まで中学受験の進学塾で勉強。塾で再びお弁当を食べる。家に帰るのは、早くても時、遅いときには10時半。その生活は、可哀想だったのだろうか。

そうでもなかった、と自分で思う。私は塾が楽しかった。小学校よりも。受験のプレッシャーがないことはなかったが、それ以上に競争の緊張感、やりがいを楽しんでいたと思う。あまつさえ授業は8時半までなのに10時まで塾に居残り、時々最終バスを逃していた。決して勉強していたのではない。塾の気の合う友達と遅くまで遊んでいたのだ。それはとても楽しい、お楽しみの時間だった。それは、私が勝ち組にいたからかもしれないけれど。

エレベーターに乗り込んできた塾帰りの子供たちの顔も、多くは明るかった。夜遅くまでの塾通いが可哀想かなんて、他人にはわからない。本人たちは案外楽しんでいるかもしれない。ただ、中国では親からの多大の期待を背負わされて、自殺する子供も少なくないと聞いた。願わくば、競争の中で苦しみ、いやいやながら勉強してる子にも、逃げ場が、救いがあるような世の中であってほしいと思う。