2013年9月29日日曜日

空飛ぶ船



週末に浜辺を散歩するのはもう習慣になっているが、そこで空飛ぶ船を見た。別に夢ではない。ハリー・ポッターの世界でもない。帆船の形の凧が飛んでいたのだ。



バリでは凧が盛んだ。乾季に入り、風が強くなると、あちらこちらで凧を揚げている。子供の遊びと言うよりも、若者のスポーツと言ったほうがいいだろう。8月のカイト・フェスティバルではインドネシア各地から集まった若者が腕を競う。しかも、ただの凧ではない。縦10メートルもあるような大凧だ。乾季の自動車渋滞の先頭には、大凧を運ぶ若者の一団がいることも少なくない。トラックでも余るような大きさなので、トラックの荷台に凧揚げチームの若者たちが乗り込んだ上、周りをバイクで取り囲み、護衛をするようにして運ぶ。注意を促すためか、単に目立ちたいだけなのか、大きな音を立てながらそうした一団がゆっくり進んでゆくのだ。

大凧ともなるとやはり飛ぶ能力が重視されるので、形としてはあまり面白くないが、お土産屋で売っている凧には、鳥の首や竜の首の簡単な彫刻が真ん中についている、なかなか美しいのもある。しかし、やはり彫刻がついているとその分重いし邪魔になるのだろう、あまり凧としてよく飛ばない。

いつだったか、乾季のバリの夜空に、妙なものを見たことがある。星でも飛行機でもなく、人工衛星でもない、ピカピカ光りながら夜空に舞うもの。一瞬、UFOを発見したかと思った。しかし、冷静によく考えてみれば何のことはない、誰かが光り物をつけた凧を夜中に揚げているだけのことだ。

乾季もだいぶ終わり近くなり、凧揚げのピークは去った。もう浜辺に行って空を見上げても凧がたくさん舞っていることはない。しかし、先週浜辺に行ったら、親子が空飛ぶ船を揚げていた。風を切って青空を泳ぐ船。風が強かったこともあり、なかなかの飛行力だった。しかも虹色。なんて夢のある素敵なデザインなんだろうと思った。なぜか自然と笑いが浮かび、優しい気持ちになった。


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2013年9月21日土曜日

孤宿の人(宮部みゆき)



今しがたこの本を読み終え、切ない、やるせない思いでいっぱいだ。久々に読んだ宮部みゆきの時代物だったが、この話はこれまで読んだどの宮部みゆきの話よりも悲しく、暗かった。

加賀殿という疫病神が江戸から流されてくる。その不安と恐怖が現実の災害を招いてゆく。人の世のしがらみと守るべき建前に、自分の思いを抑えなくてはいけず苦しむ人々。その中で描かれる、少々知恵遅れの孤児ほうと、ほうに手を差し伸べる人々の、あたたかな魂の交流がこの物語の中の光だ。ほうが打算もなく、自分では何もできない無垢な子供だからこそ、周りの人はその存在に癒され、救われたのだろう。自らを鬼とし、現世での全ての望みを捨てた加賀様でさえも。宮部みゆきは、こういう人の心のあたたかさを描くのが本当にうまいな、と思う。しかし、健気に生きるほうを残し、ほうを助けてくれた人は次々に死んでゆく。ほうの無邪気さがその悲劇を際立たせ、最後は涙なしでは読めなかった。

しかし、個人的意見を言わせてもらえば、いくら何でも人が死にすぎだと思った。登場人物全滅かと思うほどだ。もちろん、物語の構成上、不可欠だった死もあった。しかし、そうでない死も多かった気がする。大体、いくら雷がひどいといっても、そんなにたくさん雷でやられるなんて非現実的だ。私としてはラストが全然納得がいかない。せめて宇佐さえ生かせておいてくれたなら、この悲しい話の中にももう少し希望がもてたのに。
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2013年9月20日金曜日

とんび(重松清)



心温まる父と子のストーリー。最愛の妻を早くに亡くし、幼い息子を一心に愛し、子育てに奮闘する不器用な父。それを見守る、近所の人々の温かい目。どんどん成長していく出来のいい息子と、子離れができず苦しむ父。昭和の次代を背景に、それに取り巻く人々の人生が交差し、物語を織り成していく。

この物語には悪人が出てこない。皆、互いを思いやりながら不器用に幸せを探し続け、時には傷つけあい、それぞれの人生を受け入れてゆく。主人公の親父、ヤスさんはまさに昭和の親父そのもので、自分が生きていたのでもないのに、何故か懐かしくなってしまう。

心に残った言葉。
「健介のことも、生まれてくる赤ん坊のことも、幸せにしてやるやら思わんでええど。親はそげん偉うない。ちいとばかり早う生まれて、ちいとばかり背負うものが多い、それだけの違いじゃ。」
「わしが備後におらんと、おまえらの逃げて帰る場所がなかろうが。・・・ケツからげて逃げる場所がないといけんのよ、人間には。錦を飾らんでもええ、そげなことせんでええ。調子のええ時には忘れときゃええ、ほいでも、つらいことがあったら備後のことを思いだせや。最後の最後に帰るところがあるんじゃと思うたら、ちょっとは元気がでるじゃろう、踏ん張れるじゃろうが。」
なんてあたたかい言葉なんだろう。私にとっての「家」も、まさにそんな存在だ。その存在を、改めてありがたいと思う。

家族という当たり前の存在と、人間同士の繋がりを気づかせてくれ、なんともあたたかい読後感に包まれる、いい作品だった。

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2013年9月17日火曜日

夜は短し歩けよ乙女(森見登美彦)



この本を読んだのは、山本周五郎賞受賞作、本屋大賞2位と聞いたからだった。今までの経験では、直木賞よりも山本周五郎賞のほうが私の好みには合っているような気がする。果たして、その内容とは言えば、奇妙奇天烈摩訶不思議恋愛コメディーファンタジーとでも言うべきか。これは一体どういうジャンルになるのだろう。

舞台は一応現代の京都なのだろうか。しかし、全くの異世界と思ったほうがいいかもしれない。突然現れる3階建ての車、古本の紙に風の神、錦鯉を運ぶ竜巻にりんごやだるまがそこここから降ってくる。携帯が登場する割には小道具は純和風で、表現や文体からも対象、昭和初期の時代が匂ってくる。登場人物も特異な、というか変人ばかりだ。主人公の思い人も純情可憐な乙女と言うことになっているが、今の時代どんな箱入り娘でも絶対こうはならない。完全に時代と空間を超越した、天然不思議ちゃんだ。脇役のまた強烈なこと。一目惚れした相手に会うまで決してパンツは脱がないというパンツ総番長、その恋の相手と言えば、やはりパンツ総番長に会うために象の尻を学園祭に出展する。通りすがりの男のパンツを奪うのが趣味な悪徳金貸し。

この本は、あらすじがどうこうといってもしょうがないきがする。ハチャメチャな雰囲気、世界観が売りなのだろう。ただ、本やストーリーに意味を求めてしまう私にはどうもあまり馴染めなかったが・・・。ただ、このハチャメチャな世界を作り上げる想像力と筆力には感心した。

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2013年9月14日土曜日

体内時計+(寺島しのぶ)



芸能人なんて興味はないし、有名人のエッセイなど読むタイプではないのだが、家にあったので読んでみた。2003年に雑誌に掲載されたエッセイを2008年に加筆修正したものとあるので、実際に書かれたのは10年も前らしい。しかし、その10年というのが、著者がちょうど私と同じくらいの年齢の時で、親近感をもった。仕事に恋愛、結婚とやっぱり揺れる年齢なんだな、と。

庶民の私からすれば、歌舞伎家系の芸能人一家の生活なんて想像もつかないが、セレブ一家で育ったならではの悩みもある。女の子が歓迎されない梨園に生まれ、愛されていないと思い、憧れの女優を目指すも、親の七光りとは言われたくない。母の美貌にもコンプレックスをもち、自分の力で女優としてのキャリアを創り上げようとする。

エッセイには良く見られようとする心理が少なからず働くというので、どこまで真実で本心かはわからないが、それでも格好いいとおもう。セレブ一家に生まれたことは、一長一短があるだろう。コンプレックスからつぶれてしまう人もいるが、いい所だってたくさんあるのだから、うらみつらみばかり聞く気にはなれない。しかし、コンプレックスをばねに頑張る人は好きだ。いい育ちのお嬢さんながらも、色っぽい映画も真っ向から立ち向かうなど、潔い。

女優として美貌には恵まれなかったとあるが、中年以上になれば、もとの顔立ちより、いかに経験を積んできたか、人生を歩いてきたかのほうが重要になる。この本を読んだことで、テレビや映画などでこの女優を見るのが楽しみになりそうだ。

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