2013年1月31日木曜日

Smile Shop スマイルショップ


セールでつい買ってしまったものの着ていない服、もらったまま使っていないカバン、いつの間にか増殖してしまった本。持っていても仕方ないけれど、捨てるのはもったいない。そんなものが人の役に立ったらどんなにいいことだろう。

そんな夢を叶え、さらに片付けの悩みも解決してくれるのが、このスマイルショップだ。このお店はYayasan Senyum(微笑み財団)というボランティアグループによって運営されていて、人々が持ち寄ったまだ使える物品を売り、収益は口唇口蓋裂症(みつくち)などの頭蓋顔面異常の人々の手術代となる。

顔は、まさに人間の看板だ。お店の名前スマイル・ショップは、その顔の異常で笑うことができなかった人々の笑顔を救う、という意味が込められている。下の写真はウブドのJalan Sri Wedariにあるお店。ウブドの中心から、少し道をはずれたところにある。



デンパサールにもあるみたいだが、住所をGoogle Mapで検索しても見つからない・・・。
この取り組み、是非みんなで応援してあげましょう!

詳細は、下記のURLでご覧ください。

2013年1月30日水曜日

私のなんということはない読書歴 ~小学生編~


今でこそこんな書評を偉そうに書いている私だけれど、昔から特別読書家だったというわけではない。いや、結構な読書家だった時代と全然本を読まない時代と、かなり浮き沈みが激しいのだ。

それでも、思い返せば子供の頃はかなり読書家だった。小学生の頃は学校の登下校中も本から目を離さなかったぐらいである。当時のお気に入りの本は、灰谷健次郎の「兎の眼」。何度もしつこいほど繰り返し読んだ思い出の本だ。50回以上は読んだのではないかと思う。それに、新井素子「くますけと一緒に」、三田村信行「ぼくが恐竜だったころ」。「くますけと一緒に」は今も健在だが、後者のほうは知っている人も少ないだろう。学級文庫の中にあり、大好きだったのだが、廃刊となってしまったと聞いた。あんな名作こそ是非子供たちに読み継がれてほしいのに、残念だ。

児童向けのライトノベルもたくさん読んだ。ポプラ社のとんでる学園シリーズ、特に「ふーことユーレイシリーズ」は一番のお気に入りで、幽霊の和夫くんに胸をときめかせたものだった。シリーズの出版は私の成長に追いつかず、ストーリーの行く末を追わないまま大人になってしまった。最近ネットで知ったことには、どうやらあのシリーズは完結したらしい。是非最後まで読んでみたいと思うが、今あのシリーズを読んだらどう思うだろう。あの頃の自分のかわいらしさに笑ってしまうかもしれない。

もちろん、児童書定番のズッコケ三人組シリーズも大好きだった。今私の記憶に残っているのはわずかだけれど、ズッコケ恐怖体験、ズッコケ大時震など、かなり読んだはずだ。終わりがないかと思っていたこのシリーズも終に終わりを迎えたと聞き、その最後の1冊だけ読んでみた。なんだかあっけない出来の最後の一冊だったが、終わったというだけで感慨深いものだった。

小学生も高学年になりはまったのは、ティーンズハートやコバルト文庫などの少女小説である。折原みとや小林深雪の純愛小説。日向章一郎の学園ミステリー、「放課後」シリーズ、「星座」シリーズ。これらの小説の主人公はたいていは高校生で、遠い未来に感じていた高校生活へのあこがれに、胸をふくらませたものだった。現実は女子高で、恋愛とはまったく縁のない生活を送ったが。折原みとでは、「時の輝き」、「桜の下で逢いましょう」、それに「アナトゥール星伝」シリーズ。これも例のごとく、シリーズの終わりを見届けることなく成長してしまった。小林深雪は折原みと以上にたくさん読んだはずだ。記憶にある「16歳子供じゃないの」は、17歳、18歳、と続き、20歳で完結した、と思いきや、実はその子供の話となり、さらにその子供と4世代続いたらしい。第2世代まではわかるが、その先はやりすぎではないだろうか?

私に少女小説のめくるめく世界を教えてくれたのは2つ上の姉だった。といっても、親切に本を薦めてくれたのではない。本を見せてもらったといえば聞こえはいいが、ぶっちゃけて言えば姉の本を盗み読みしていたのである。お小遣いをケチって貯めようとする私とは違い、姉は好きなものは惜しげなく買ってきた。姉の部屋はいつも、ちょっと背伸びしたい年頃の私の興味を引くものであふれていた。姉の部屋に侵入するときはいつも、罪悪感とともに宝探しをするような興奮を感じたものだった。姉の部屋はまさに私にとって秘密の花園、宝島だった。そして、姉の部屋の散らかりようはそのわくわく感を一層強くした。床に雑多におかれた小物類の影に、小説を発見したときの喜び。まさに掘り出し物を発掘する感覚だ。勝手に拝借する時もどうしたらばれないかとあれこれと頭をひねり、返すときには、出来るだけ元の場所にと思いつつも、元々どこにあったか忘れてしまうことも多かった。姉の部屋を探検している時に玄関のドアが開く音が聞こえようものなら、慌てふためいて逃げ帰ったものである。もちろん、姉が気づいていないはずはない。「あんた、また盗み読みしたね?」と聞かれれば、蛇ににらまれた蛙のようになりながらも、懸命にしらばっくれた。そしてしばらくは自粛するのだが、また2,3日したら我慢できずに、姉の部屋に宝探しに出かけた。

その繰り返しは、後に対象がライトノベルから漫画に変わりながらも、姉が大学に入り、家を出るまで続いた。姉は家を出て行くとき、大部分の本・漫画を家に置いていった。これで私は落ち着いて存分に本・漫画を楽しめることができるようになったはずだったが、不思議なことに、その途端、本たちは急に色あせて見えた。主を失った部屋はとたんに宝島ではなくなり、前のように本を手にするわくわく感もなくなってしまった。私の少女時代を彩ってくれた本たち。しかし、それも姉の存在なくしてはありえなかっただろう。

2013年1月29日火曜日

星星の舟(村山由佳)


○○賞受賞作というのは当てにならないことも多いが、しかし、これは違った。これでこそ直木賞、さすが、と全面的に称賛できる作品だった。

村山由佳といえば、押しも押されぬ人気恋愛小説家である。私も特別恋愛小説が好きなわけではないが、「天使の卵」「天使の梯子」「おいしいコーヒーの入れ方シリーズ」のいくつかは楽しんだ。この「星星の舟」にはある家族ひとりひとり(4人兄妹と父親)の話が短編として収められている。その短編5編のうち、最初の3編はしっとりした情緒があふれ、大人の味わいではあるものの、やはり従来の恋愛ものの村山由佳だな、と思った。しかし、年の離れた団塊世代の長男の話のあたりから風向きが変わってゆく。そして最後の父親の話は、完全に裏切られた。いい意味で。この作家が戦争ものを書けるなど、中高年の男の心情が描けるなど、誰が予想していただろう。どうやら後書きによると、作者は戦争に行った父の昔語りを直接聞いて育ったらしい。父親の話も、実は恋愛の話ではあるのだが、それを忘れるほど甘さがなく、深く、衝撃を受けた。

文章の美しさ、雰囲気、そして内容。1編1編をとっても珠玉の出来だが、これが家族の話としてまとめてあることで、また違った味わいがある。同じ家で育ち、あるいは生活している家族とはいっても、一人ひとりの人生があり、同じ家族でも知らない自分の世界を秘めているのだと。

この本で間違いなく村山由佳は株を上げた。この人気作家がこれからさらにどう成長してゆくのか、楽しみなことだ。

2013年1月28日月曜日

お見舞い文化の違い

今日朝出社してみれば、同僚が入院したとの知らせが。週末に起こったことで、もう何人かはお見舞いに行ったらしいのです。まだ行っていない人で昼にでも病院を訪ねようという計画に私も誘われました。いろいろごたごたしてるだろうし、気持ちの整理をつける時間も必要だから、もう1,2日してから見舞ったほうがいいのでは、という私にみんな不審顔。インドネシアでは、誰かが入院すれば、すぐに見舞うのが常識らしいのです。遅く行くと失礼に当たるのだとか。お見舞いの経験が乏しいので、偉そうなことは言いませんが、日本でだったら入院した直後に大勢で見舞うのは控えますよね。まずは落ち着いてから、体調が戻ったあたりで病人を刺激しないように、と思いますが、文化の違いですね。それにしても日本風に様子を見て後から行っていたら、とんだ無礼なやつと思われていたでしょう。危なかった・・・。

ラーメン屋ごん太


まずは、お世話になっています!私が図書館代わりに通う、ラーメン屋さんです。この日本語の活字砂漠バリのオアシス。もしこのごん太さんがなかったら、私がこのブログで書評を書いていることもなかったでしょう。

海外に住んでいて何よりも不便なのは、本が手に入らないこと。それでも洋書なら、品数はかなり限られているし、値段はやたらと高くても、観光客の集まる繁華街に行けばペリプラスという本屋があるけれど、日本語の本は、どこにも売っていない。シンガポールに行く機会があるたびに紀伊国屋に足を運ぶけれど、これがまためちゃくちゃに高い!

日本人会の事務所にもなっているサヌールの日本人学校には図書館があると聞き、前に訪ねてみました。確かに立派な図書館でした。バリ在住の日本人が寄付したものを中心に、新しい本も定期的に入れているみたいです。しかし、この図書館を利用するには日本人会に登録し、入会費と会員費を払う必要があります。それがかなり高かった・・・。一度登録したものの、結局忙しくてろくに図書館を利用する暇もないまま、期限が来てしまい、ひどく損をしたような気が。以来、バリで日本語の本を読むのは諦めていたのですが・・・。

その悩みを解決してくれたのが、このラーメン屋ごん太。サヌールの中心部にあるスーパーマーケットHardy’s の真ん前に軒を連ねる、庶民的な雰囲気の店です。中に入れば、両側の壁をびっしり埋め尽くすのは本。これを初めて見つけたときは狂喜したもの。以来、お世話になりっぱなしのお店です。10万ルピアの前金はあるものの、借りるのは無料。もちろん、本来はラーメン屋さんなので、食事もしていきます。残念ながら小麦アレルギーの私はおいしそうなラーメンをいただけず、いつも食べるのはさんまの塩焼き。日本のさんまの塩焼きの味そのもので、脂ものっていておいしいです。味噌汁は味が濃いめ。

ごん太。サヌールの目抜き通り、Jalan Danau Tamblingan沿い、Hardy's の前にある。

2013年1月27日日曜日

銀のみち一条(玉岡かおる)


この作者の作品を読んだのは初めてだったが、内容の濃い秀作だった。なぜ何の賞も得ていないのか、不思議なくらいである。アマゾンでも、投稿されている書評はわずか。この佳作はもう少し評価・注目されてもよいのではないかと思う。

時は明治、国を挙げての殖産興業の真っ只中、近代鉱業の中心となった但馬生野銀山を舞台にした大河小説である。真摯に生きる鉱夫の雷太と、その人生を彩る3人の女――雷太の幼馴染で貧困から芸妓となった美貌の芳野、町一番の良家の娘・咲耶子、雷太に一途に思いを寄せる咲耶子の小間使い、志真。女には何の力もなく、男にすがることでしか生きていけなかった時代だった。女という立場の弱さに泣き、運命に、男に翻弄されてゆく。その人生には33様の悲しみがあり、節の通し方があった。貧乏家族を養うために身も心も犠牲にしながらも、自分の道を切り開いていった芳野の身の振り方は、哀れながらもあっぱれだと思った。誰よりも恵まれて、新しい明治の女として希望に燃えていたはずの咲耶子も、結局はその特権的な身分ゆえに、社会の作った女という枷に誰よりも苦しみ、挫折してゆく。それでも彼女をかばう人間がいつもいたことは、やはり彼女の恵まれた生い立ちゆえで、幸運といわざるを得ない。芳野にはそんな人間もなく、全て自分の力で創り上げていかなければならなかったのだから。

また、この物語で、恵まれない境遇に育ちながらも人を助け、まっすぐに生きていく雷太とは対照的に描かれている、幼馴染でフランス人のクウォーター、北村伊作の存在も見逃せない。多くの人の厚意を受けながらも自らの不運を嘆くことしかせず、人を恨み、自滅していった男。そのほかにもこの物語には、激動の時代に翻弄されながらも抗い、自分の道を歩んでいった人間が幾人も登場する。そして、傷つきながらも希望の光を見出していった登場人物の姿に励まされるのだ。

この物語の表向きの主人公は鉱夫である雷太だが、事実上、これは3人の女の物語だ。社会的に何の力もなかった時代に懸命に生きる女の話。以前、多くの外国人に交わり、精力的に仕事をする私の仕事ぶりを祖母に写真つきで説明したことがある。そのときの祖母の言葉「あんた、こんな人たちに相手にしてもろうちょるのかいね。」私はかなりムッと来た。私は自分の努力で現在の立場を勝ち取ってきたと思っていたからである。しかし思えば、祖母は女が何の相手にしてもらえない時代を生きてきたのだった。女は男に庇護されてやっと生きていける「もの」であり、自分の権利を主張することさえままならなかった時代。能力さえあれば認めてもらえることを当たり前と思っている私は、間違いなく恵まれているのだ。今なら笑って祖母に言えるだろう。「そうよ、私ちゃんと相手にしてもらってるのよ」と。

2013年1月25日金曜日

美丘(石田衣良)


不治の病に冒された少女との悲恋というのは、昔からの王道だ。これもその1つで、陳腐、という言葉は使いたくないが、あまりにも使い古されたテーマのため、私は読む前から多少白けてしまったいた。ただ多少現代的なのは、その不治の病に侵された少女があまりか弱い、たおやかな美少女ではなく、やたらと気が強く、彼氏とセックスをやりまくることだろう。これが感受性の強い、10代の時に読んだのだったなら素直に涙を流してしまったかもしれないが、お涙ちょうだい的なありきたりのエンディングにやたらと白けてしまったのはわたしだけだろうか。また、どうしても現実的なわたしとしては、自分の胸を美丘の墓標にすべく刺青をほった太一に「ちょっとあんた、人生は長いんだから。そんなことして、絶対後で後悔するよ」と言いたくなってしまうのである。

2013年1月24日木曜日

The Boy Who Harnessed the Wind (William Kamkwamba and Bryan Mealer)


アフリカで国際開発に携わる友人に勧められて読んだこの本。経済的理由で学校に行けなくなった少年が自力で風力発電機をつくるという、実際にあった話だ。これは、奨学金を手に入れ、現在は南アフリカで勉強する本人が、記者の助けを借りて書いた本である。

舞台はアフリカ、マラウィ。呪術が実際のものとして人々の生活に浸透しているお国柄である。主人公および作者のウィリアムは科学者を夢見ていたが、実家は貧しい農家で、学業を断念することを余儀なくされる。時は2002年、飢餓がマラウィを襲う。一日一食のぎりぎりの生活の中、ウィリアムは図書館で科学の本を発見、それを頼りに、自転車の発電機を使った風車の設計を始める。工夫を凝らした手作りの風力発電は噂を呼び、彼は特別に学校に受け入れてもらえることになる。そして今、彼は科学者を目指し、学業に励んでいるはずだ。もう既に科学者として活躍しているかもしれない。

裸一貫から始まった、サクセスストーリー。こうした話を聞くたびに、勇気づけられる。しかしこの話の中で一番私が驚いたのは、彼の身近なところに図書館があったということである。もうインドネシアに住んで4年にもなる私だが、この国には図書館、いや本自体が本当に少ない。ある程度大きな街であっても図書館はおろか、まともな本屋さえないところも多い。新聞や雑誌を売る小さな店はともかくとして、だ。

いくら彼がクリエイティブで不屈の精神の持ち主であっても、このサクセスストーリーは図書館なしにはありえなかっただろう。そう考えると、図書館の偉大さ、ありがたみが改めてわかると同時に、もっと発展途上国に図書館を普及できれば、と思う。

正直言って文章はあまりうまくないが、読みやすいことは確かだ。本人が実際書いたのをあまり変えないようにしたのかもしれない。難しい単語は全くと言っていいほどでてこないので、英語初級者にはおすすめだ。

Mayada, Daughter of Iraq (Jean Sasson)


新しい世界を教えてくれる、そんな本が好きだ。決して勉強のために読んでいるのではないけれど、楽しんで読んだらいつの間にかいろんなことを学んでいたというような本。そして、この本はまさにそんな本だった。

これは、中東に長く住み、中東文化に造詣の深い筆者が友人となったイラク人のマヤダにインタビューし、その体験を文章にしたものである。しかしこのマヤダは、ただのイラク人ではない。母方の曾祖母は、オスマン・トルコ帝国の王女であり、祖父は高名な学者およびアラブ民族主義の主唱者で、イラクのみならずアラブ諸国の独立運動・思想に絶大な影響を与えた、サティ・アルフスリ。その娘であり、マヤダの母であるサルワも、外交官として中東の社交界で確固たる地位を築いている。父方だって負けてはいない。父方の祖父ジャファール・アルアスカリは軍人として第一次大戦中はアラビアのロレンスとアラブ軍を率いてオスマントルコと戦う。後にイラク王国の独立に大きく寄与、首相まで勤めあげた。ジャファールの親友であり、義兄弟となったマヤダの大叔父のヌリ・アルサイドも7期も首相を務めた歴史的政治家である。

まさにイラクの近代史を作り上げ、それを体現するような支配者階級のお嬢様である。よって、その家族の経歴を語るだけで近代イラク史がおさらいできるのだ。そしてこんな特権階級に育ったマヤダは、サダム・フセイン独裁体制下でも、政治の中心とは距離を置きながらも権力者サダム・フセインやその取り巻きの様子を目にすることも、耳にすることもできた。実際、この本の半分以上は、そうしたマヤダの家族を通してのイラク史、マヤダが記者時代に触れたイラク秘密警察の内情やサダム・フセイン一味の横暴のエピソードである。「サダム・フセインの拷問監獄を生き延びた女性」という副題から予想されるのとは違う内容に驚く読者も多いのではないのだろうか。わたしにとっては、良い期待の外れ方だったが。

反政府的な文書を印刷したとしてある日、突然監獄に送られたマヤダは、そこで同じように囚われた女性たちと出会う。ほとんどは何の釈明をする機会も家族へ連絡する暇も与えられず放り込まれた無実の一般市民で、毎日拷問を受けながらも互いをかばいあうのだった。特権階級であることがここでも効き、マヤダ自身は大した拷問にかけられることもなく、1週間後に釈放される。もしかしたら、無実の女性たちの話を世に伝えるためにマヤダは捕まったのではないか思ってしまうほどだ。

イラクでの政治的抑圧も、戦争も、わたし達には遠い外国で起こっていることであって、身近に感じるのは難しい。しかし、現地では生活を破壊され、家族を失い、傷つき、怯え、かろうじて生きている人たちがいる。この本にはその人たちの叫びが刻まれている。

イラク史を学べ、さらに政治について考えさせられる、一石二鳥でお得な本である。英語も、簡単とは言わないが、特別難しくもない。イラクに興味がある方にはもちろん、そうでない方にも是非お勧めしたい一冊だ。

それでも社長になりました!(日本経済新聞社編)


よし、私もがんばるぞ!読後感はそんな感じだ。励まされ、やる気が出る。そんな、勇気をくれる、この本。

この本は、日本経済新聞社に連載された大企業の社長へのインタビューをまとめたものだ。インタビューの内容は、社長の課長時代。特に、その失敗談だ。現在成功者として人の上に立つどの社長の話にも共通するのは、皆、紆余曲折を経ているということ。特に、エリート街道を歩いてきたわけではなく、昇進は同期の誰よりも遅かった、という社長が意外にも多いのだ。怖いもの知らずだった若い日々。自分の意見を曲げず上司やまわりと対立したり、新天地での開拓を任されて五里霧中の中を試行錯誤で切り抜けたり。屈辱的な閑職時代を経ている人も少なくない。自分の意見を持つこと。諦めないこと。とにかく、やってみること。40人の社長の体験談は、その大切さを何よりも如実に物語ってくれる。

人の上に立つというのは、その下で働く人の心境や苦労が理解できなければ難しい。あらゆる経験を積んだ者だからこそ、人から尊敬され、その究極のポジションが務まるのかもしれない。

40人の社長の話の後には、各社長の略歴と写真が載せてある。その写真を見ると、どれも生き生きし、自信に満ちている。顔に刻まれた皺の一つ一つがその人の歴史を誇らしげに語るような顔だ。

何かをやってやろう、またははじめようという人、そして何かにつまづいている人は、是非この本を読んでみてほしい。元気がでること間違いなしである。

セカンドバージン(大石静)


テレビドラマで話題になったというこの話。日本にはいなかったため、テレビドラマは見なかったが、話に聞いて興味を持ち、読んでみた。確かにテレビドラマだったら受けるだろうなと思った。

中年のキャリアウーマンと17歳年下の有能な若者の純愛。それだけで中高年女性には大うけだろう。そして、ドラマチックなストーリー、大げさなまでのユニークなキャラクター、劇的な最後。ドラマだったら単なる娯楽として楽しめたかもしれないが、文章で書かれている小説としては残念な出来だった。私が小説に現実味を求めてしまうせいもあるかもしれないが。

ストーリーがドラマチックな割には描写が乏しく、あっという間に話がとんでいってしまうので、とても話が薄っぺらく感じた。やはり作者は脚本家であって、作家ではないのだな、と思った。ストーリー自体は面白いが、それを生かすだけの文章力がない。それがこの話が所詮フィクションでしかないことを強調させる結果となっている。残念だ。

古道具中野商店(川上弘美)


2ヶ月ほど前、「私の大好きな本フェア」という帯につられて、なんとなく手を伸ばしてみたこの本。しかしこの書評を書くにあたり、ほとんど内容を覚えてないことに気がついた。たいていの本ならば1,2年前に読んだ本であってもあらすじぐらいさっと出てくるのだが。つまり、それだけ印象の薄い本だったということだ。

しかし読み返してみれば、別に悪い話ではないのだ。いや、これは、話の流れよりも雰囲気を味わう本だ。小さな古道具屋を舞台にして、そこで働く「わたし」の日常と、「わたし」とタケオのどっちともつかない微妙な恋模様が淡々と描かれてゆく。登場人物はかなりユニークで、描かれている出来事もかなり非現実的なものもあるのだけれど、あたかも何でもないことのように過ぎ去ってゆく。この話で描かれている登場人物は、老若男女、みな恋をしている。性の話もしょっちゅう、日常の一コマとして出てくる。しかしそれも嫌らしい雰囲気ではなしに、この独特な世界を作り上げる一要素となっているのだ。若い日の不器用な恋、そのほろ苦い味を思い出させてくれる本だった。しかしはっきりとしたストーリー立てがあるわけではないので、また1週間も経てば忘れるだろうな、と思った。

2013年1月21日月曜日

冷静と情熱のあいだ(江国香織・辻仁成)


同じストーリーを別の作者が女性側・男性側から書く、意欲作。発想は面白いし、文章も舞台もきれいだが、全体として私にはいまいちだった。

まず、ストーリー展開がとても遅い。原稿を交換日記のように交わして書いたせいか、はじめのほうはなんとなく互いの出方を待っているようで、話がいっこうに進まない。そして、話自体も、互いに別々の道を歩みながら、過去の恋愛を忘れられないという設定なので、ひたすら後ろ向きで過去ばかり振り返り、それでいて2人が引きずっている過去もなかなか明らかにならない。キャラクターに魅力が感じられないというのも私が物語に入っていけなかった一因だろう。あおいにも順正も、思ってくれる恋人がいながら、現在と向き合おうとはしない。順正はそれでも修復士としての道を歩いているが、あおいについては、ひたすら本を読んでお風呂に入るだけ。やさしい恋人にも心は開かず、それでいて何をしたいというのでもなく、どっちつかずで、私は読んでいてひどくいらいらした。はじめRosso(赤)を読み、エンディングまでどっちつかずで、消化不良の気分だったが、Blu(青)を読み、少しだけ救われた。この後ろ向きな主人公たちは奇跡的な再会さえも後ろ向きに捉え無駄にしてしまうのかと思ったからだ。Bluのほうの最後で、ようやくこの物語にはなかった未来への希望が見えた気がする。

結論。ロマンチックな純愛ものなのかもしれないが、私の好みではない。私にはきっと、純愛ものよりも、当たって砕けてもまだ諦めないような不屈のラブストーリーのほうがあっている。

2013年1月20日日曜日

Harry Potter Series (J. K. Rowling)


あまりにも有名で人気の高い作品のため、わざわざ感想を書くこともないとは思ったが、やはりこれを書かずには始まらない、私の大学時代の希望の本。アメリカに大学留学した私は、英語には本当に苦労した。授業についていくのが精一杯だった1年生のときはもちろん、少し余裕ができて、ペースがつかめるようになった3,4年生のときでさえ、教科書でもない普通の本を楽しむような余裕はなかった。教科書なら語彙は限られ、ある程度読み進められても、娯楽小説や文学はまたボキャブラリーが違い、また違った難しさがある。本は読んだほうがいいとわかっていても、なかなか英語の本に手が伸びなかったとき、出会ったのがハリー・ポッターだった。

はじめは、どうせ児童書だと馬鹿にしていた。実際、1巻目は多少子供じみている。しかし、面白い。英語なのに、知らない単語はあるのに、つまづくことなく、どんどん読み進められた。私でも英語の本を楽しめる、ということに感激した。あっという間に読み終わった、とはとてもいえないが、読み終わったときはこの分厚い本を読み終えられたという感激、充実感とともに、もう読み終えてしまったという残念な気持ちを味わったものだ。
子供のファンタジーと侮るなかれ。ファンタジーというのを馬鹿にしなければ、大人でも十分楽しめる内容だと私は思う。特に私が好きなのは、第3巻の、アズカバンの囚人。とてもまとまりがよく、また、後味もいい。それ以降のものになると、どんどん長くなり、伏線を張る前半が長ったらしく感じ、伏線が回収されても、どうしてもまとまりを欠いている感が否めない。

多少英語の腕に覚えのある人は、是非英語で読んでほしい、お勧めの本。

ブレイブ・ストーリー(宮部みゆき)


宮部みゆきの才能はとどまることを知らない。ミステリーはもちろん、時代物、そしてファンタジーまでこなせるとは。しかも、王道中の王道を行くストーリーながら、面白い。飽きさせない。そして、エンディングも教訓的メッセージがうかがえるものの、陳腐ではない。さすが、というべきか。

父が母と自分を捨てて、愛人と暮らすことを宣言してから、小学5年生の亘の生活は一変する。そんなとき、ひょんなことから 別世界、幻界の存在を知る。幻界で困難を乗り越え、運命の女神に会うことができればたった1つ、願いが叶えられるという――。設定はゲームそのものだ。それもそのはず、幻界は現世の人間の想像によって生まれたものである、というそのための布石がある。見習い勇者となり、旅の仲間を連れて宝探しをするのも、運命の塔を目指すのも、全てオーソドックス。さらに言えば、最後の戦いが自分自身だというのも、「ゲド戦記」と同じだし、最後に幻界を救うというのも、ありがちといえば、ありがちだ。それでいて、王道には王道ならではの醍醐味がある。数々の困難を乗り越え、自分自身に打ち勝ち、たった1つの望みを叶える権利を手にしたワタルが願ったのは、運命を変えることではなかった。それは、理不尽な運命に会うたびに、それをなかったことにすることはできないから。大切なのはそれと向き合うこと、それを克服することだとわかったのだ。

人間、長い人生の中では誰だって理不尽な運命に直面することがあるだろう。私にだってあった。「何で私だけがこんな目に」そんなことを思って他人を羨んでも仕方ないのだ。しかし、それに気づく人が一体どれぐらいいるだろう。自分の運命を呪い、他人を憎み、自分を助けてくれた人の存在に気づかないではいないだろうか。自分自身の憎しみに負けたミツル、旅に挫折し、想像の世界の中で王となり朽ちていったかつての旅人、教王。この物語の中で登場するそうした存在を考えると、この物語の深さに気づく。

理由(宮部みゆき)


私も大好きな作家、宮部みゆき。東野圭吾と同じく、この人の本にははずれがないが、残念ながらこの本はあまり好きにはなれなかった。私が宮部みゆきの好きな理由として、単にストーリー展開の意外性やトリックに凝るのではなく、人間の面白みや悲しみを誰よりも映し出すことができる作家だからだ。しかし、この「理由」にはそれがなかった。

ストーリーの描き方は斬新だった。ドキュメンタリー方式で、まったく事件と関係のない記者が、既に解決済みの事件の全体像を取材しながら浮き彫りにしてゆくのである。事件そのものも、互いに何の関係もない4人が高級マンションの一室で惨殺されていたというもので、当然どうしたらこんなことになるのか、と思わせる。しかし、事件自体の奇抜さが現実味を薄くし、事件の真相は、単に作者が思いもよらない事件を書きたかったための跡付けのような気がしてしまうのは私だけだろうか。宮部作品には、読み終わった後、どうしても切なくなったり(火車など)、温かな気持ちになったり(今夜は眠れないなど)読後感が何ともいえないのだが、これはこれはいまいちだった。バリバリの推理ものが好きだという方にはいいかもしれないが、推理の論理ではなく、ヒューマンドラマを楽しみたいという人にはお勧めできない。

嫌われ松子の一生(山田宗樹)


映画化され話題を呼んだ作品の原作。映画では随分派手で明るい演出になっているらしいが(見ていない)、原作は、面白いが、かなり暗い。

最初は国立大学を出た中学の美人教師だったのが、校長からのセクハラ、窃盗事件で免職、後はソープ嬢、覚醒剤、殺人、と絵に描いたように転落してゆく。向けられたささやかな親切にすがりつき、愛を求めては、ろくでもない男に貢ぎ、裏切られる。誰でもいいから愛されたいというのも、地獄で仏(のように見えるもの)にすがりついてしまうのはわかるが、あまり同情できないのは私だけだろうか。

最初の転落のきっかけとなった事件にしたって、生徒をかばった、といえば聞こえはいいが、保身を第一に考え、単に口からでまかせを言ってしまった結果に他ならない。生徒のためを思った行動とはとても思えないのだ。その後の転落も、男運が悪いというよりも、男を見る目がないというのが原因の気がする。心配してくれる友達もいるのに、だめ男に貢いでしまって、結局だめになる。決して悪い人間ではないので、見ていて痛々しいが、結局は自業自得、といってしまえばそれまでだ。

松子は、悪い人間ではない。馬鹿でもない。しかし、弱い。自分で自分の人生を築こうという芯の強さがない。彼女の求める幸せはすべて男しだい、全て他人まかせなのだ。小さな希望にすがりついては裏切れ、それでも愛を求める姿は、哀れとは思うが、一方で、(こうはなりたくないな)と思ってしまうのも事実である。

時生(東野圭吾)


ストーリーは、ありがちなタイムスリップもので、どうしようもない若者だった宮元拓実は未来から来た息子・トキオに導かれ、自分の出生の経緯を知り、自分の生まれたきた意味、生きる意味を教えられるというもの。こう書いてしまうと陳腐な気がするが、さすがは東野圭吾で、消えた恋人の謎やそれにまつわる大規模汚職事件などを交えた、ミステリー調で話は進んでゆく。息子の死に臨む拓実の回想という形なので、エンディングはわかっているのだが、飽きることはない。

しかし、消えた恋人が巻き込まれた大規模汚職事件、息子の不治の病と、多少詰め込みすぎの感じはある。ただ、未来で不治の病を煩って死んだ息子だからこそ、「生きる意味」を語ることができるのかもしれないが。以下は、そのトキオが父の拓実(その時点ではトキオが未来から来た息子だなんて信じてはいないが)に言う言葉。

「どんなに短い人生でも、例えほんの一瞬であっても、生きているという実感さえあれば未来派あるんだよ。あんたにいっておく。明日だけが未来じゃないんだ。それは心の中にある。それさえあれば人は幸せになれる。それを教えられたから、あんたのおかあさんはあんたを産んだんだ。それをなんだ。あんたはなんだ。文句ばっかりいって、自分で何かを勝ち取ろうともしない。あんたが未来を感じられないのは誰のせいでもない。あんたのせいだ。あんたが馬鹿だからだ。」

命の意味をトキオから教えられた拓実だからこそ、その数年後、不治の病を背負うかもしれないとわかっていながら、息子が生まれることを選択したのだろう。そういう意味で、トキオの「でもね、拓実さん、俺はさ、生まれてきてよかったと思ってるよ」という言葉は、父に、将来、自分は生まれてきたい、だからそういう選択をしてほしいという意思表示と、自分が生まれることを選択したお礼という二重の意味があるのかもしれない。

猫鳴り(沼田まほかる)


たまには違った傾向の、新しい作家の本も読んでみようかと、本屋で手に取ったこの本。「女子ブンコフェア」の帯になんとなく手を出したのだが、正直言って買ったのを後悔。新しい本を開拓するのなら、もっとリサーチしておくべきだった。まず、特に猫好きでもない私がこんな題名の本を選んだこと自体間違いだったのだ。しかし、こんなにもストーリーがなく、ここまで読者を不快にさせる小説は珍しい。ストーリーではなく、全体として描写に重きが置かれている感じだ。1部は猫を拾った経緯、3部は老いたその猫が死んでいく様で、途中にあまり関係のない、暗い少年についての話が挟まっている。全体を通して雰囲気が暗く、淀んでいる。感情移入できる登場人物もなく、最後の第3部に至ってはだれが老猫の介護や死に様について延々と読みたいものかと思ってしまう。

さんざんこき下ろしてしまったが、文章自体は悪くない。特に、心の負の部分を表現・描写するのがとても巧みだと思う。ただ、それが延々と続いたために、私は辟易してしまったが、これでメリハリのある、希望のあるストーリーが展開するならば、この文章をまた読んでみるのも悪くはないかと思う。

パラレルワールド・ラブストーリー(東野圭吾)


東野圭吾の本にははずれがない。少なくとも私が今まで読んだものの中では。ただ、この人の書くものだとある程度以上の質・面白さを期待して読んでしまうので、どうしても点が辛くなってしまう。

このパラレルワールド・ラブストーリーもそんな本のひとつだった。過去の記憶に疑問を持ち真実を解き明かそうとする現在と、取り戻していく1年前の記憶の中の風景が交互に描かれる。その構成はさすがだ。また、最後までストーリーも飽きさせない。脳科学という分野も作者が得意とするもので、「変身」「宿命」などでも取り扱っており、「こんなの現実にあるわけがない」と思いつつも、小説世界の中でつじつまを合わせられるのも作者の力量だろう。それでも多少消化不良の感が残るのは、智彦という主要人物がきれい過ぎるからかもしれない。親友に裏切られ、唯一無二の恋人を奪われたにしてはあまりに人が良すぎはしないか。最後に残された手紙は確かに感動的だったが、こんな聖人みたいな人本当にいるのかと思ってしまうのは、私が未熟なだけだろうか。三角関係自体は、武者小路実篤の「友情」を思わせるが、智彦の人間が良すぎるためにラストの現実味が薄く感じられてしまう。しかしなんだかんだ文句をつけながらも、楽しんだことは否めないので、娯楽にはいい。

卵の緒・7’s blood(瀬尾まいこ)


この作品には、包み込むような温かさがある。大衆に受けやすいドラマチックなストーリーや人が次々と死んでゆくミステリーとは対照的な、日常をつづった「癒し系」小説。この本に収録されている「卵の緒」、「7’s blood」の両方とも、家庭が舞台となっている。しかも両方とも少なからぬ不幸を過去に負ってきた、決して円満とはいえない家庭だ。しかし、それだからこそ、守っているささやかな幸福が心に染みる。血のつながっていない親子、いきなり2人暮らしをすることになった異母姉弟。そのふれあいの中に確かに存在する、絆。それは、誰もが思い描くような「円満家庭」の定義から外れた家庭の幸福だ。家族には、それぞれの形があっていい。いや、理想の姿を追い求めるより、自分らしい形を求めていくべきなのだと、そう思わせてくれる小説だった。この作者には、ご近所さんや親戚として、また友達として会ってもきっと好きになるだろう。きっと、人の心を感じられる、温かな人のだろうと思う。

流星の絆(東野圭吾)


東野圭吾にははずれがない。両親を惨殺された後、肩を寄せ合って生きてきた3兄妹。詐欺師となった兄妹は次なるターゲットを追ううちに、彼と両親の殺人事件を結びつける鍵に気づいてゆく。兄妹は真相を暴こうと罠を張るが――。

Amazonの他の書評を見るとあまり評判が良くないようだが、私は楽しめた。読みやすく、さすが東野圭吾だけあって、ストーリーのテンポが飽きさせない。兄2人が改心して自首、資産家で人柄もいい行成が全てを承知でそれでも妹にプロポーズというのは、あまりにもできすぎで「めでたし、めでたし、チャンチャン♪」というような安っぽいエンディングのような気がしないでもないが、希望がもてる、という意味では後味は悪くない。

しかし、この本の売り文句になっている、「彼らが仕掛けた復讐計画の最大の誤算は、妹の恋心だった」というのは明らかに内容と違っている。大げさな煽り文句をつけて売ろうというのは理解できるが、明らかに間違った売り文句をつけるのはどうだろう。名前が売れている作家で、ちゃんと質の高い作品なのだから、嘘の煽り文句をつけなくても売れるはず。出版社には、もう少し節操のある売り込みのしかたをしてほしいものだ。

はじめまして

思い立って私もブログなるものを始めてみることにしました。書評や海外における雑記などを随時するアップする予定です。
三日坊主にならないか、少々不安ですが、はじめのほうは訪問者も少ないと思うので、人目を気にすることなく、まあ気楽に始めてみようと思います。良かったらお付き合いください。


Chety