2015年1月24日土曜日

日本のホテルにないもの



10年を超える海外歴で、色々な国の色々なホテルに泊まった。そして、昨年日本に帰ってきてから国内の出張で国内のビジネスホテルに泊まる機会も増えた。そこで気づいたのだが、海外のホテルにはかならずあって日本のホテルには必ずないものがある。最近は海外からの旅行者が多いが、これがないことで難儀している海外旅行者は多いのではないだろうか。

海外のホテルに必ずあって日本のホテルにはほぼないもの、それはミネラルウォーターである。海外でも日本でも、大概のホテルには無料のティーバッグやインスタントコーヒーが湯沸かし器やティーカップと共に置いてあり、自分でお茶やコーヒーを入れて飲めるようになっている。しかし、海外ではその横に必ず中くらいの大きさのミネラルウォーターのペットボトルが2本ほどあり、その水を使ってお茶なりコーヒーなりを沸かすのだ。しかし、日本ではこのミネラルウォーターがない。海外からの旅行者はさぞ困惑するだろう。これではお茶が飲めないではないか、と。

もちろん、日本人ならそうは思わない。水は洗面台の蛇口をひねって出せばいいことだ。しかし、海外では水道水=汚い、という感覚が一般的だ。ホテルで客に水道水を使ってお茶を飲ませるなんて何たることか、と思う客もいるのではないか。水道水が飲めるなんていうのは日本では常識でも、水道水を飲むなんて世界ではまだまだ非常識なのだ。ミネラルウォーターを用意しないのであれば、「日本の水は飲めます」「飲料水は蛇口をひねってお取りください」などの断り書きがどこかに必要だろう。

しかし、そんな断り書きよりも、やはりミネラルウォーターはあったほうがよい。いくら安全だと言われたところで、長いあいだ刷り込まれた水道水への抵抗感はちょっとやそっとじゃ消えない。それに、ミネラルウォーターは観光客が街に繰り出す際にとりあえず持っていくのにも便利だ。見知らぬ土地では、自動販売機が見つからなくてもとりあえずホテルに行けば水がある、またはホテルから持っていけばいいというのはやはり助かるだろう。

結論。日本のホテル業界の皆さん、客室にはミネラルウォーターを用意しましょう。

2015年1月10日土曜日

マニキュアの謎



年末年始に姉が帰ってきた際、有用な情報を得た。ズバリ、マニキュアの塗り方だ。

マニキュアなんてものは単に塗って乾かせばいいと思っていたのだが、どうやら違うらしい。ベースコートという透明なものをまず塗り、次に色ものを2層に重ねて塗る。更にその上にトップコートというものを塗る。

世の中の女性には常識かもしれないが、私には初耳だった。そして早速試してみた。成程、時間も手間もかかるが確かに発色よく、艶も美しく仕上がった。この状態で1週間はもたせるものらしい。

それから1週間。新たな疑問が持ち上がった。世の中の女性はマニキュアをどう維持しているのだろう?私のマニキュアは1週間でボロボロになった。先は剥がれ、塗らないよりもさらにみすぼらしい。


しかし、世の中の女性は爪に絵を描いたり、さらに細かい装飾をしている人も多い。非実用的なほど爪を長くしている人もいる。どうやって維持しているのだろう。おしゃれな人のマニキュアはなぜはげないのだろう?それともしょっちゅう塗り替えているのだろうか。塗るのだって何層も重ねれば時間がかかるのに。

私はやっぱりおしゃれにはむかないのかもしれないと思う今日この頃である。

2015年1月7日水曜日

自分の呼び方



Facebookでよく友人の近況を読む。同世代ではベビーブームで、子供のことを書く人も多くなった。例えば、こんな感じ。
 「今日は娘の1歳の誕生日。母の手作りのケーキでお祝いをしました。」

ところでこの文章、「母」が指すのは、文章を書いた私の友人(女性)自身だとお分かりになるだろうか。私ははじめ、わからなかった。「母」というのは、彼女の母のことだと思っていた。しかし、他の近況も読んで気づいた。彼女は、母になった自分のことを指して、「母」と言っているのだと。

家庭内なら、一番年少の子供に合わせ、自分のことを「お母さん」、長男、長女のことを「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」などと呼ぶのはよくある話だ。でも、Facebookで、自分の友人が読むようなところでも、自分のことを「母」と呼ぶのは正直言って違和感がある。

ではFacebookで自分の母が登場するときはどうするのだろう。「祖母」と書くのだろうか。つまり、自分が忙しくて、実家の母親が来てくれたような場合、「今日は母は忙しいので、祖母が来てくれました。娘は大喜びです。」とか。では、自分の祖母のことを書くときは?頭がこんがらがってしまいそうだ。

父となった男性が同じように自分のことを「父」と呼んでいる投稿はまだ目にしたことがない。女性は母になった途端、母としてのアイデンティティや立場がまず一番になってしまうのだろう。これに違和感を感じるのは、私が母になったことがないからなのだろうか。