2014年5月31日土曜日

誰も教えてくれないお金の話(うだひろえ)



何もしなくてもどんどん貯金が貯まっていった、バリの生活から一転、東京に戻ってきていきなりお金のことが気になり始めた。今までのようにどこかに雇ってもらって月収が保証されているわけでもないので、真面目にお金のことについて考えねば、そう思って勉強することにした。

というわけで読んでみたこの本。漫画で日々のやりくりに苦しむ作者がまわりの人々からお金について学んでいく様子が描かれている。節約、家計簿、お店の会計分析、不動産購入、保険と、話題も生活に直結した身近なものばかりだ。しかし、各章ごとに、文章の解説がついていて、大切なところの説明はやはり文章を読まなくてはいけない。結局は、漫画だけで説明できる内容ではないということか。

それでも、著者のお金の失敗談を通してだいぶわかりやすくなっている。何より、そのストーリーを通してそのトピックがどれほど重要なことかわかるから、多少難解で普通なら読みたくないお金の解説を読むことができる。

この中で私が一番勉強になったのは、保険の考え方だ。保険の保障額は、その人の価値では決してないので、残った人が生活するためにどれだけ必要かを考えて決めるということ。何でもかんでも入っていればいいというものではないのだ。

しかし、一言。内容はともかく、絵が雑すぎる。もう少しどうにかならないものかと思った。


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2014年5月4日日曜日

オーデュボンの祈り(伊坂幸太郎)



これは伊坂幸太郎の処女作だそうだが、私が読んだのは「砂漠」「重力ピエロ」に次ぎ、これで3冊目だ。前に読んだ2作でも独特の世界が十分伺えたが、この処女作からはさらにその作者の本質、作風がより純粋な形で見られた気がする。

なんとシュールで独特な作品なのだろう。現実ではありえない世界をそれでも非論理的な理屈で描いていく。カカシがしゃべり、未来を予見する世界のことなのだから、どんな理屈だって小説のなかでは論理として通るのだ。この点、少々村上春樹に似ているかもしれない。

気まぐれでコンビニ強盗未遂をした男が目覚めたのは、存在を忘れられた島だった。外界と接触を絶ったその島には、言葉をしゃべり、未来を知るカカシ、悪人を独断で殺しながら、島民には「ルール」として受け入れられている「桜」という男、嘘しか言わない画家、地面に寝そべって心臓の音を聞く少女、太りすぎて動けなくなった「うさぎ」という女、など奇妙な人々が住んでいる。しかしある日カカシが殺(壊)される。それに続く殺人事件。未来を知っていたカカシはなぜ殺されたのか。

このハチャメチャの設定で、どう収拾つけるのかと思いきや、すべての伏線は確かに最後で回収される。それにもかかわらず、どうも肩透かしをくらったように感じるのは私だけだろうか。この読後感、やっぱり村上春樹に似ている。独自の世界を持っているという点で、それだけでも評価されるのが現代小説なのだろう。しかし、抽象画やだまし絵のようで、確かな意味が読み取れないこの作品は、私の好みではあまりなかった。しかし、村上春樹が好きな人なら、この人の本もきっと好きになるだろう。

2014年5月2日金曜日

オレたちバブル入行組(池井戸潤)



去年ドラマ化され、話題となった半沢直樹シリーズ第1作目。海外にいる私は流行りものには疎いのでドラマは全く見なかったが、なかなか面白かった。隠し財産を持ちながら計画倒産し、5億を踏み倒した債権者を追っていく様子は、経済小説というよりは、刑事ものを読んでいる感覚だった。まだ、腐敗した上司を追い詰めていくのも、現代版時代劇といった感じだ。

経済に疎い私でも無理なく理解でき、ストーリーを楽しめ、銀行という組織の理解を深められた。作者が元銀行員というだけあって、多少誇張されたところはあるかもしれないにせよ、なかなか現実感がある。

しかし、減点主義のトーナメント式昇進システム、間違えたらそれで終わり、という組織のあり方が本当なら、それを知ってこんなところに就職を希望をする人はいるのだろうか。人間は間違えながら学ぶものだ。間違えてはいけないということは即ち学ぶ機会が与えられないということだ。エリートか何だか知らないが、かわいそうな仕事だと思う。

また、この半沢直樹という男、どうにも私のタイプではない。彼の流儀である「やられたら、倍返し!」というのは昨年の流行語にもなったらしいが、これを人は格好いいと思うのだろうか。私は、なんとも子供っぽいと思った。何て人としての器が狭いのか、と。

倍返しなんてものがまかり通ったら、世の中永遠に平和は訪れない。最後に木村に土下座させるのも、えげつないと思う。なぜそこまでしなければいけないのか。すべてわかっていながら、寛大に許してやり、敵をも味方につけるというのが本当の人格者というものだ。

人のプライドをけちょんけちょんに否定することは、一時自分のプライドを満たせても、長期的には自分のためにもならない。プライドを傷つけられた人たちが、いつどのように自分に「倍返し」にでるか、わかったものじゃない。

「倍返し」の流儀は、将来の火種を作り、自分を不安定にするだけだ。それでも、一時的な「勝利」に多くの読者は胸のすく思いをするのだろうか。

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