2013年3月30日土曜日

チヨ子(宮部みゆき)



幽霊などの超常現象を扱った短編4編を集めた短編集。宮部みゆきというだけで、ある程度質は保証されているので、安心して読める。どれもさらっと読めるので時間つぶしにはいいが、宮部みゆきには他に質の良い短編集もあるので、特別おすすめとも言えない。私としては、前に挙げた、「幻色江戸ごよみ」のほうが質もそろっていて、好きだった。

それでも、この短編集の中で気に入ったのは、本のタイトルにもなっている、「チヨ子」だろうか。アルバイトの女の子が着ぐるみの中に入って見れば、周りの人はみな、その人が子供の頃大切にしていたおもちゃのように見えてしまう―。これは、この本の中で唯一殺人事件が出てこない話だった。後味が一番いいのもこの作品だろう。最後の「聖痕」は、異色の作品だった。短編、というには多少長いが、なかなか考えさせられた。神とは、正義とは。この作品に描かれている狂気にぞっとした読者も少なくないだろう。

しかし、ちょっとした話の中に人間の怖さ、面白さ、悲しさを描けるのが宮部みゆきのベストセラー作家たる所以だろう。

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2013年3月29日金曜日

ヤモリ地獄

バリにはヤモリが多い。どこの家にでも1匹や2匹、いや3匹4匹必ずいる。かなり立派なホテルに泊まって、壁にヤモリがへばりついているのにぎょっとする観光客も多いのではないかと思う。うちにももちろんいる。時々壁に糞らしきものをくっつけてさえいかなければ、虫も取ってくれることだし、なかなか可愛い同居人だと思っている。しかし、昨日うちに帰ってきたら、思わぬところにいた。

台所の流しの中に捕まっていた。私の気配を感じ、懸命に壁をよじ登って出ようとするのだが、出られない。8分くらいの高さまでたどり着いてはずり落ち、流しの底をさ迷っていた。さて、どうしたものか。料理をするのにも邪魔だし、かわいそうなので、助けてあげたい。しかし直接捕まえるのは避けたい。梯子のようなもので助けて上げられればいいのだが。

いろいろ考えた末、私は濡れ布巾を流しの淵にぺったりとかけた。これでしばらくすればヤモリも流しの壁面を登れるだろう、と思って観察しながら料理を始めたのだが、なかなか登ってくれない。それどころか、濡れ布巾と流しのわずかな隙間に身を隠してしまった。隠れてどうする!一生そこから抜け出せなくてもいいのかい!?

 しかし困った。私は麺をゆでていた。ゆであがったら熱湯を流しに流さなくてはならない。でもゆでヤモリは見たくない。麺がゆで上がるまでにヤモリには流しから出て行ってもらわねば。そこで考えた。どうしたらヤモリを流しから救い出せるか、と。

しかしなぜそもそもヤモリのくせに流しの壁面を登れないのか。いつも天井でも浴室の壁面でもはりついているではないか。そしてようやく気づいた。ヤモリが流しの壁面を登れないのは、流しの壁がぬるぬるしているからだ。だから登ろうとしてもずり落ちてしまうのだ。

というわけで、私はスポンジを取り出し、流しの掃除を始めた。ヤモリを傷つけたくはないので、洗剤は使わず、とりあえず擦るだけ。危機を感じ、ヤモリは私が擦る壁面とは反対のほうに逃げ、じたばたしている。その様子についつい笑ってしまう私。

ざっと壁面を水で磨いたところで、 とりあえず放っておくことにした。あとはヤモリ自身の努力あるのみ。果たして、数分後、麺がゆで上がる頃にはヤモリの姿は流しから消えていた。無事、壁面を登りきり、脱走できたらしい。私もゆでヤモリを見ずに済み、めでたしめでたしである。

それにしても流しに落ちたヤモリはあせっただろう。そこは一度入ったら抜け出せない、蟻地獄ならぬヤモリ地獄。しかしそんな罠を作ってしまったのはほかならぬ私だった。いつも流しをきれいでぴかぴかに磨いておけばヤモリもこんな目にあわなくて済んだであろうに。ヤモリさん、ご迷惑をおかけしました。これからはヤモリにやさしいきれいな流しを心がけます。




2013年3月26日火曜日

Veronica Decides to Die (Paulo Coelho)



邦題「ベロニカは死ぬことにした」。“Alchemist” “Devil and Miss Pryme” に続き、この作者の本はこれで3冊目だ。世界的ベストセラーになったAlchemistでさえあまり私の好みではなかったから、もう読むのはやめようと思っていたのだが、「これはいいよ」と友人に勧められ、また読んでしまった。御伽噺的要素が強かった前読んだ2作とは違い、これは至って現実的だ。特別宗教的な要素もない。しかし、他の作品と共通しているのは、これはストーリーで楽しませる本ではなく、ストーリーを通してもっと深いもの、人間の内面を追究していることだろう。

若く美しく、何の不自由もないベロニカは、人生に意義を感じられず、睡眠薬を飲んで死ぬことにした。次に目覚めたのは、精神病院だった。そこで医師に、殺未遂行為で心臓が致命的なダメージを受け、あと5日しか生きられないことを告げられる。精神病院で死を待つ間、そこに閉じ込められた人々に触れ、生きるということを見つめなおす。鬱病のゼドカ、パニック症で弁護士を辞めたマリ。エリートのレールからはみ出す事を許さない外交官の両親の下、夢を否定され精神分裂症を患ったエドゥワード。世間から異常とみなされた人々が集う精神病院では、異常であること、非常識であることが許される世界だ。しかし、一体何が普通で、何が異常なのか。人間皆それぞれ違う。違う人間を一定の枠に当てはめようとすることから歪みが生じる。人は皆違うことを肯定すれば、皆狂人で、狂人であることが普通なのだ。

ストーリーの展開は、正直言ってはじめから分かりきっていた。どうせこんなことだろう、と思っていた最後のオチも思ったとおりだった。しかし、ベロニカを取り巻く人々の話が思った以上に深く、面白かった。話の面白さを楽しむ私には、話の展開自体はもの足りなかったが、なかなか深く、考えられる本だった。読んでよかったと思う。

しかし、若く、美しく、仕事もあり、家族にも愛されているベロニカが死にたいと思うこと自体異常だが、人生に意義を見出せない若者が短絡的に死を選ぶのは、意外と多いのかもしれない。実際、彼女の生活は読んでいて、そりゃあ人生楽しくないわ、と思った。夢見たピアノの道もはじめから否定され、安定だけを考えて仕事は好きでもない図書館。ボーイフレンドはいるが、本気ではなく、むしろ暇つぶし。生きていてあなた何か楽しいんですか、と聞きたくなる。いや、人生楽しいから生きている人はそんなにいないかもしれない。世の中、死なないからとりあえず生きている人のほうが多いのではないだろうか。それでも、生きているからには楽しまなきゃ損ではないか。

人生は自分で楽しくするものだと思う。だから私は生活がマンネリ化してきてつまらなくなると、新しいことを始めたり、普段とは違うところに行ってみたりする。そんな人生を楽しむ努力もしないで、死に急ぐのはやっぱり若いというかなんというか。しかし主人公がたどり着いた結論については全面的に賛成。せっかく享けた生ならば、謳歌しなくてはもったいない。
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2013年3月25日月曜日

瑠璃の海(小池真理子)



小池真理子の作品を読んだのは初めてだ。そして、中年の恋愛を描いた作品を読むのも初めてだ。もっと若かったときは中年の恋愛なんて興味もないし、むしろ不潔ぐらいに思っていたが、年齢的にも近づきつつあることだし、私も大人になったということだろう。

離婚した妻との間の一人娘を失った男と、配偶者を失った女。同じ事故の遺族会で顔を合わせてから、互いに惹かれてゆく。男は、さほど有名ではないが作家であり、世間を騒がせた事故の遺族同士の恋愛は、雑誌にスクープされる。一方男は思うように書けないことに苦悩を募らせていた・・・。きれいで素直な文章で若者の恋愛とは違った、成熟した官能に満ちた恋愛模様が綴られる。

この恋愛は、2人の心中で締めくくられる。中年の男女の恋愛で、最終的に心中するところは、「失楽園」を彷彿させる。(読んだことはないが、あらすじだけ知っている。)しかし、世間一般的に理解できるようなはっきりした理由のない心中だ。女は未亡人、男はとうの昔に離婚済みの独り身で、事故で亡くなった女の夫への罪悪感を抜きにすれば、障害は全くないはずだ。しかも、それは本人たちも理解している。それでも、あえて男は死ぬことを選び、女は「幸せだから」と男と最後を共にすることを選ぶ。生きるすべをなくし追いつめられての切羽詰った自殺ではなく、自分で人生の幕切れを選んだ、人生の選択としての自殺。理屈としてわからないでもないが、しかし感覚としては全然分からないし、共感も感動もできないというのが本当のところだ。

ここに描かれている死は観念としての死であって、ロマンチシズムの結末なのかもしれない。あるいは、私がこの小説を読むのが早すぎたのかもしれない。読むタイミング、というのはあるものだ。昔、幼い時分、アンデルセンの人魚姫はなぜ海のあぶくとなることを選んだのか、全く理解できなかった。王子への愛ゆえ、ということもわからなかった私には、その結末は何の余韻もない不可解なものであった。サン・テグジュペリの名作「星の王子さま」だって、10歳で読んだときは、なんてつまらない本だろうと思った。描かれている話の深さにも気づかずに。もしかしたら、この本もそうなのかもしれない。

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2013年3月24日日曜日

頑張れ、日本の電器メーカー!



スマホが欲しい。最新の、性能のいいやつ。

私は決してテクノマニアではないし、最新の技術の発展にはむしろついていけず、よく友人にも笑われるのだが、仕事上いいパソコンにスマホは欠かせない。今は1年半前に買ったBlackberry Curveを使っているが、正直言って全然満足していない。2ヶ月に1回は海外出張があるというのに、インターネットが海外で使えない。GPSも然り。そしてインドネシア国内でさえインターネットはやたらと遅い。バッテリーは1日で上がってしまう。タッチスクリーンでないので、拡大・縮小が難しい。日本語が使えない。中国語と韓国語機能はあるというのに。しかも買って1年以内に故障し、修理のため3週間ほど使えないことがあった。

海外出張がいよいよ増えてきて、海外でインターネットを使えないというのは致命的になってきた。私が求めるのは、世界中どこでもネットにアクセスでき、GPSが正確で、質のいい写真をGPSつきで撮れ、ビデオ、録音機能も充実しているもの。ついでに電子辞書機能なんかがあれば最高なんだが。買い換えたいと思うようになり、何を買おうかと、時々ネットのランキングをチェックしている。技術的な細かいことがわからない私は、とりあえずランキング上位のものを買えば間違いなかろうという単純に思っている。しかし!なぜ日本製がないの???上位にランキングされているのは、いつもサムスン(韓国)、アップルのiPhone(アメリカ)、ノキア(フィンランド)。しばらく落ち目だったブラックベリー(カナダ)もぶり返してきたようだ。そして最近見るようになったHTC(台湾)。日本勢はランキングにも入っていないことが多い。ソニー、京セラ、富士通と、探せば見つかるが、上位には入ってこない。

日本ほど早くから携帯電話が普及していた国はないと思う。2000年代初期、中期、日本では色とりどりの多目的携帯があふれていた時分、アメリカで携帯を買おうとして、そのあまりの種類の少なさ、機能の乏しさに愕然としたものだった。しかし、日本の携帯はガラパゴス化してしまった。機能の面では決して劣らないのに、その特殊性から世界標準にはなり損ねた。

海外にいると愛国心が強くなるのか、できるだけ日本製品を買うことにしている。日本の品質に対する信頼と、日本社会や経済にほとんど貢献していないからこそ、少しは日本経済を応援してあげようという気持ちもある。テレビ、エアコン、冷蔵庫はすべてシャープ、プリンターはキャノンだ。だから、たとえ一位でなくても、多少高くても、ランキングに入ってさえいればその日本製品を買いたいと思っているのだが・・・。日本の電器メーカーさん、もうちょっと頑張ってくれませんかね?

スマホを買い換えるのは、もう少し様子を見てみよう。もしかしたら、少しすれば日本メーカーが浮上してくるかもしれない、と期待をこめて。


2013年3月23日土曜日

柔よく剛を制す


家の表で鉢植えの花を育てている。一年足らず前に引っ越した際に買ってきて、待遇が気に入らないのか見栄えが衰えたのもあれば、すくすく育っているのもある。 その中で枝を伸ばし、次々に花を咲かせてくれているのが、Ixoraだ。これは学名で、日本名は知らない。

そんなIxoraでこの間驚いた。花が葉を突き抜けて咲いていた。柔らかい花が、堅い葉を突き抜けるとは。Ixoraの葉は、かなりしっかりしていて、簡単に裂けたり破けたりはしない。柔よく剛を制す、雨だれ石を穿つ、の実演を植物に見た気がした。

2013年3月17日日曜日

風になりたい(オリジナルソング)



趣味で音楽をやっている。といっても全然本格的なものではない。6年ほど習っていたピアノ、インドネシアに来てからピアノの代わりにはじめたギター、それに作詞・作曲。そんな私の拙い自作曲を発表してみることにした。タイトルは「風になりたい」。同じタイトルの有名曲もあるが、他に思いつかなかった。特別なマイクを使っていないので、録音状態は悪いけれど、良かったら聞いてみてください。

これを作ったのは、仕事で上司と対立し、ひどくストレスを感じていた頃だった。本気で仕事をやめようかとも考えていた。「ああああ――――――」と叫びたい衝動から、この曲が生まれた。

最近は仕事が猛烈に忙しく、息をつく暇もない。先週はカリマンタンに出張、来週もジャワとスマトラに出張。今日も日曜なのに家で仕事。明日は太陽も昇らないうちに空港に行かなければいけない。ギターを取り出して弾く余裕もあまりない。そんなとき、この曲や、他の自分で作った曲を歌う。自分で作った曲に、励まされる気がして。

YouTubeでもアップしました。
http://www.youtube.com/watch?v=gDsdxGc_-JQ