2013年2月28日木曜日

幻の日

今日は2月の最後の日だ。そして、明日からは3月だ。当たり前のことだが、少し寂しい。そういえば昔、2月の最後の日について、友達と議論になったことがあることを思い出す。


当時、私は小学1年生だった。ちょうど、同級生と誕生日の話をしていた。誕生日いつ、という質問に、その子はこう言った。
2月の最後の日だよ。」
彼女がもったいぶったそんな言い方をしたのは、どうやら他の月が30日か31日ある中、自分の誕生日だけが月の最後なのに28日だということを特別に感じていたからだった。2月だけ他の月より短いということを知っている小学1年生はそんなにいないかもしれない。

しかし2月の最後の日と聞き、私は229日だと思った。なぜなら、それが私の姉の誕生日だったからだ。そして、その日が特別な日であることを、私は既に知っていた。
「え?229日?」私は思わず尋ねた。すると、憤慨したようにその子は言った。
「違うよ。28日。2月は28日までしかないんだよ。」
だから私は言った。年によって29日があることもあるのだと。だって、私の姉はその229日生まれなのだから。

「嘘だー。2月の最後の日は28日だよ。」
自分の誕生日のことだけに、彼女も譲らない。周囲の人間に同意を求め、2月は28日までしかないことを主張した。私もあくまでも29日があることもあることを主張したが、集まってきた別の同級生が教室から持ってきたカレンダーにより決着はついた。論より証拠である。その年の2月には、29日はなかった。今年はなくても、29日がある年もあるなどいくら私が言ったところで、圧倒的に不利であった。

「ほうら、カレンダーには28日までしかないよ。29日なんてないんだよ。」
勝ち誇ったその子の顔。結局私は嘘つきということになった。何にも知らないくせに、と唇を噛み締める私に「自分のお姉ちゃんの誕生日くらいちゃんと覚えておきなよ。」と追い討ちをかけ、まわりの子たちは去っていった。

何が正しいかは結構、居合わせた人間の多数決によって決まってしまうものだ。私の本名はもともとひらがなだが、小学生の時、日本人の名前はみな、正式な漢字があると思い込んでいる同級生の中で、何年生になっても自分の名前を漢字を書けないおばかさん、と思われることも多かった。自分の名前は最初からひらがななのだと言ったところで、名前がみな漢字の小学生の中にあっては簡単には信じてはもらえない。自分の名前が漢字で書けない言い訳だと思われた。天動説が常識とされる世界でいかにコペルニクスやガリレイが地動説を唱えたところで、狂人扱いにしかされないのだ。

今年も、2月のカレンダーは28日で終わりだ。そして世の中大多数の人間は、それを気にも留めないだろう。しかし私は228日と3月の間に4年に一度だけ出現する、幻の日を思う。そして、姉にいつ「お誕生日おめでとう」と言えばいいのか、悩むのだ。

2013年2月26日火曜日

グッドラックららばい(平 安寿子)

ありえそうにないユニーク家族の20年を描いたこの小説。何の理由もなしにふらりと家出をしたまま帰ってこない母。それを、まあ、いいじゃないかと笑って許してしまえる貯蓄命の父。ダメ男とセックス三昧の日々を楽しむ男道楽の姉、とにかく金持ちになりたい、玉の輿に乗るためなら何でもする妹。生きる方向が人とはちょっとずれている片岡家の人々。

はじめのうちは全然登場人物に感情移入できず、正直言って嫌悪感すら感じた。しかし、読み終わってみれば、めでたし、めでたし。人の迷惑を考えず自分本位に生きるその生き方に爽快ささえ感じてしまう。この家族は、世間や常識を気にしない、というよりも、この家族は世間や常識が存在することさえも知らないのではないだろうか。だから、悩まない、迷わない、ストレスを溜めない。人目を気にせず、自分の定義した幸せの中で生きているのだ。

自分勝手なこの家族の中でも一番見事なのが、このお母さんだろう。突然家族を置いて巡業中の芝居一座についてゆく。そこで何年か芝居をやった後、ひょんなきっかけから、つぶれかけの旅館の女将をやることに。家出後は見事な根無し草の行き当たりばったり人生を歩んでいるのだが、見事なぐらい悩んでいない。何の後悔もしていない。娘2人の将来ぐらい心配しろ、と言いたくなるぐらいだが、それもない。決して家族に愛情がないわけではないのだ。むしろ、家族との絆を誰よりも信じている。だから、家出をしたことで家族を裏切ったとは考えてないし、当たり前のように家がいずれ変える場所だと思っている。「家に帰るのは、疲れてからでいい。家はそのためにあるのだから」って、家族から拒絶されるとは考えていないんですかね?私が娘だったら、絶対恨むと思うが。そりゃあそうでしょ、自分を見捨てて出て行って、好き勝手して。しかしお父さんのほうもまたマイペースで、妻の家出に傷つくのでもなく、怒るのでもなく、そんな妻をただのほほんと温かく見守っている。妻を疑うなどしてもみないのだ。この夫婦の絆はダイヤモンドのように堅いのかもしれないと思ってしまう。

「世の中、難しく考えることはない。生命さえあれば、偶然ぽろりと落ちた土の上で咲けるのよ。春の畑にはびこる蓮華みたいに。」いやあ、たくましい。この小説を読んでいると、本当にそんな気分になってくる。自分の抱えている悩みが取るに足らないものに思えてしまうのだ。すべては、捉え方しだいだと。私もかなり自分本位なマイペース人間のつもりだったが、この片岡家のみなさんには負けました。前半感じた多少のいらいら感はどこへやら、爽快な読後感。

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2013年2月25日月曜日

懐メロ・ロマンスの神様

いつも本を借りるラーメン屋ごん太で懐メロのアルバムCDを見つけ、早速借りてみた。シリーズもののCDで、以来、私の中では勝手に懐メロブームになっている。主に80年代に流行った曲で、多くは私には全然懐かしくない、初めて聞く「懐メロ」だが、中には確かに、「ああ、こんな曲あったね」と懐かしい気分にさせてくれるものもあった。

そんな曲の筆頭が、広瀬香美「ロマンスの神様」だ。これが流行ったとき、私はまだ小学生だった気がする。その後もいろんなところに使われた曲なので、それほど古い感じはしないのだが、30を過ぎた今になってみると、歌詞がやたらと切実なのだ。

「ノリと恥じらい必要なのよ 初対面の男の人って 年齢・住所・趣味に職業さりげなくチェックしなきゃ・・・」「幸せになれるものならば友情より愛情」

海外生活が長く、合コンをする機会さえない私は、合コンに備えるこの気構えを体験したことはないが、しかし気持ちはわかる。昔聞いた時は正直な女の打算を歌うこの歌詞を単に面白いと思ったが、今では別の感慨を持って聞いてしまう。いやはや、時の流れとは速いものだ。しかし今この歌を歌ったら、あまりにもはまりすぎて逆に笑えないのではないだろうか。

2013年2月24日日曜日

地下街の雨(宮部みゆき)

宮部みゆきの短編集。7作のうちの半分くらいは、だいぶ昔にあったシリーズドラマ、「世にも奇妙な物語」に出てきそうなミステリー、サスペンス系だった。暇つぶしにはなかなかいいだろう。

一番好きだったのは、表題作「地下街の雨」。思いやりからのこういう罠なら、仕掛けられても、はまっても悪くない。「決して見えない」は夜に読んでいて背筋がぞっと寒くなった。「混線」「勝ち逃げ」では、ミステリーの中に少しおかしみも感じられる。「さよなら、キリハラさん」では、少々ラストがすっきりしなかったのだが、私の読解力不足だろうか。

しかし、15年ほど前に出版された本だが、多少今との時代の差を感じないこともない。「こんなの、携帯使ったらいいじゃない」と思うところが少なくなかった。15年前というと、ポケベル全盛期だっただろうか。どちらにせよ、携帯電話はそんなに普及していなかったのだ。現代では時の流れが速くて、何もかも、あっという間に時代遅れになってしまう。この短編集の内容とはまったく関係ないが、そんなことを感じてしまった。


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2013年2月22日金曜日

Three Cups of Tea (Greg Mortenson and David Oliver Relin)


平凡な人間が一念発起し、困難を乗り越えながら、偉大なことを成し遂げる。使い古したテーマながら、そんな実在の話が私は大好きだ。エジソンや、ディズニー、スティーブ・ジョブズにしても、皆、七転八起の不屈の物語である。この話も、その例にもれない。平凡な登山家、グレッグ・モーテンソンがヒマラヤでの登山に失敗し、山間の貧しい村に助けられたところから物語りは始まる。モーテンソンはその村の人々の親切に感激し、必ず帰ってきて村に学校を建てることを誓うのだ。

しかし、生活の全てを山につぎ込んでいたモーテンソンには、資金がなかった。有名人に手紙を送ってみたり、ほとんど誰も来ない説明会を行ってみたりと、試行錯誤が始まる。プライベートの生活も、恋人と別れるなど、うまくいかない。やがて資金を出してくれるパトロンが見つかり、学校の建設が開始するが・・・。

今ではこの話が話題を呼び、広く支援者も現れ、モーテンソンは自身が設立したNPOの名前で、パキスタン、アフガニスタンの政情不安定な地域で学校を普及させているという。そうした地域では、貧困のせいで教育の機会が限られるばかりではなく、女子教育が禁じられ、男子にもイスラムの聖戦、ジハドだけを教えるところもある。アメリカが敵と見なされる地域で、アメリカ人、モーテンソンは教育により平和の種を撒こうとしている。
フェミニストの私としては、モーテンソンが女子教育に重点を置いているのが印象的だ。この本の中でモーテンソンは言っている。

「男の子に教育を与えると、村を出、仕事を探して街に出て行ってしまう。しかし女の子は家に残り、地域のリーダーとなり、自分が学んだことを伝えていく。本気で文化を変えたいのなら、女性に力を与えたいのなら、そして基本的な医療衛生を改善し、高い乳児死亡率をどうにかしたいのなら、答えは女の子を教育することだ。」と。

自分のためではなく、人のために心身惜しまず頑張る人がいる。そして、その結果がはっきりと出、少しずつだが世界がいい方向に変わってゆく。そんな話を聞くたびに人間も捨てたものではないと励まされるのだ。この話のなかで、モーテンソンが自分を理解し、応援してくれるパートナーとめぐり合い、家族を築くのもまた、いい。人のために働くだけではなく、自分も報われてよかったね、と安心した読者も少なくないだろう。

しかし、この本、どうやら後からケチがついたようで、紹介されている実際のモーテンソンの業績やタリバンによる誘拐などの内容の真偽をめぐって、物議がかもされたらしい。勿論、ノン・フィクションとして大々的に有名になった物語にフィクションが入ってたとすると興醒めだ。しかし、ゼロから始めて学校を作り始め(その実際の数についてはいろいろ議論がありそうだが)、世界中の注目を集めるまでになったというのは、やはり大した功績だと思う。

自分は何にも出来ない、何をしたって変わらない、そんな無気力に取り付かれている日本の若い世代に是非読んでほしい一冊だ。

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2013年2月21日木曜日

祝・開設1ヵ月


いつの間にかブログを初めてから1ヶ月が経っていた。さすがに一番初めの1ヵ月だけあって、かなり頑張ってアップしたと思う。いつまで続くかどうか謎だが。

始める前は、ブログなんて・・・と思っていた。ほとんどは自己満足のようなものだし、実際に見る価値のあるブログは少ないと思うから。だから自己満足のためだけと割り切り、訪問者がなくてもまあいいか、という気持ちで始めたのだが・・・

実際始めてみると、やはり訪問者の数が気になる。最初の数日はほとんど誰も来ず、寂しい思いをした。ページビュー数はほぼ自分のクリックだけで増えていった。そして気がつけば訪問者の数を増やしたくてブログ登録したり、Ping送信(アクセスを呼び込むために各ブログ関連サイトに更新を知らせること)というものをすればもっと増える、と聞いてやってみたり。それで訪問者が実際に少しでも増えると、ものすごく嬉しかったり。そして、そういう新しい技術(というほどのものではないが)、コンピューター関係に弱かった私もちょっとは賢くなった気がした。

最初の1ヵ月のページビューは300回。かなり自分のクリック数が入っているとはいえ、悪くはないと思っている。なにしろ、ほとんど訪問者がないこと覚悟で始めたのだから。そして驚いたのは、完全に日本語のブログなのに、日本以外の国からもちらほらと訪問者があるということだ。迷ってたどり着いてしまったのか、海外在住の日本人なのかは分からないが。それでも行ったこともない世界の片隅で私のブログを見ている人がいる、というのは考えただけでも楽しい。

ブログサービスのプロバイダによって、いろいろ違いがあるというのも学んだ。Bloggerを選んだのは、Googleの運営する、世界で一番使われているブログサービスだから、ということだった。特に知識のない私のような人間はとりあえず大手を選ぶのが無難だろう、と。しかし、私は見落としていた。Bloggerは確かに大手だが、日本ではそれほどでもない。よって、日本向け特有のサービスが充実してないのだ。日本のブログサービスで一般的な、Ping自動送信機能もなければ、日本語フォントも限られている。ブログ紹介文のぎこちない明朝体を変えたくて仕方なくても、HTMLの知識がない私にはどうしようもない。今では読書感想記事だけを集めて、FCブログでもうひとつ別のブログを作ろうか、なんて考えている。

この1ヶ月で学んだことは結局、何事もやらないよりはやったほうがいいということだ。なんだかんだいって世界が広がる。賢くなる。そして、結構やってみると面白いではないか。

それにしてもこのペースが一体いつまで続くだろう。過去に読んだ本のことを書いたって、すぐにネタは尽きてしまう。それに、過去に読んだ本のことを書こうにも、再読せずに書けそうなもは限られている。しかし、とりあえずは心配しないでおこう。無理せず、楽しんでやるのが長続きの一番の秘訣だろうから。

2013年2月20日水曜日

手紙(東野圭吾)


東野圭吾というとミステリー、と思うが、これにはミステリー色はない。むしろ、ベテラン作家の筆が光る、人間ドラマだ。最後のストーリーの展開は、さすがに東野圭吾というべきか。弟の学費を稼ぐために強盗殺人罪という大罪を犯した兄と、その罪ゆえに人生を翻弄される弟。どんなに本人が努力しようと、「強盗殺人犯の弟」というレッテルが執拗に足を引っ張り、弟を苦しる。刑務所の中の兄から毎月届く手紙も忌まわしい過去を思い出させ、そのレッテルを確かめるものでしかなかった。

この物語の中で、特に心に響くのは、社長の言葉だ。「君が今受けている苦難もひっくるめて、君のお兄さんが犯した罪の刑なんだ」「もう少し踏み込んだ言い方をすれば、我々は君のことを差別しなきゃならないんだ。自分が罪を犯せば家族をも苦しめることになる――すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」

「諦めることにはもう慣れた」と、直貴は言う。兄の罪のために夢や恋、多くのことを諦めねばならなかった直貴。彼の最後の決断は、何の罪もない妻子のために、罪を犯した兄を諦めることだった。もう、それ以上諦めなくてもいいように・・・。「私たちのこれらの苦しみを知ることも、あなたが受けるべき罰だと思うからです。このことを知らずして、貴方の刑が終わることはないのです」直樹は兄への最後の手紙にそう書く。この背景にあるのは、非情と思われた社長からの言葉に他ならない。

罪と償い。この作品はその普遍のテーマを罪に巻き込まれた何の罪もない一青年の葛藤から描き出している。重い小説ながら、希望の光を与えることを、作者は忘れない。「これで終わりにしよう、何もかも。お互い長かったな」という被害者の言葉に、直貴が兄に向けて歌う「イマジン」。「秘密」、「変身」、「宿命」・・・、東野圭吾はいつも、最後の数ページでこの上ない余韻を作り出す。重いながらも、読んでよかった、と思える、名作だった。

2013年2月19日火曜日

バリでの日本食材


「インドネシアではどんなものを食べてるの?」日本に帰ればよく聞かれる。特に親にとっては娘がまともなものを食べているのか、心配でならないらしい。

もちろんインドネシアで一番ありふれているのは、インドネシア料理だ。インドネシア風焼き飯、ナシ・ゴレンを筆頭にいろいろなものがある。インドネシア料理は好きかと聞かれたら、とりあえず、「まあまあかな。普通に食べられるよ。」とは言ってみるが、実は特別大好きというわけではない。ひととおり辛いものが食べられるようになった今も、どの食べ物にもついてくるチリ・ソースを好んで使うことはないし、インドネシア人が好む揚げ物も油っこくてできるなら避けて通る。そしてやはりお腹の落ち着く先は、日本料理となる。

バリで日本料理に不自由することはない。観光客の集まる場所に行けば必ず日本料理店はあるし、日本の調味料も手に入る。日本料理店はやはりローカルな店と比べれば格段に高いし、デンパサールに住む私にとっては日本料理店の集まる観光スポットもかなり遠いので、自分で簡単なものを作ることになる。しかし、野菜などの食材はローカルなところで安く調達できるから問題ないとして、調味料などを買うところはやはり限られてくる。日本のものがバリで一番充実しているのは、クタにある日本専門のスーパー、パパイヤだが、私が一番よく行くのがサヌールにあるスーパーマーケット、ハーディーズサヌール店だ。1階には日本に限らず、輸入物が豊富に置かれ、在住外国人の御用達店となっている。

店の一角は日本の調味料コーナーとなっている。醤油、ポン酢、みりんや、うどん、そばのほか、日本のお菓子なども置いてあり、なかなか重宝しているが、しかし、ないものも多い。今までで探してなかったものは、餅、味噌、昆布だし、ふりかけなどである。そんなものがほしいときは、はるばるクタのパパイヤまで足を運ばなければならない。置いてほしいものをリクエストするシステムを作ってくれないものかとよく思う。

しかし、輸入品はやはり高い。輸入物はただでさえ関税のせいで、生産国より高くなるが、インドネシアでの食の安さに慣れてしまうと、日本からの輸入食品の高さが一層こたえる。普段インドネシアの普通の店で食べるドリンク付でランチが大体200円から300円だ。しかし、例えば、ポン酢を買おうとすると約600円もする。2倍だ。これを日本に置き換えると、同程度のランチを食べるのに1000円とすると、ポン酢を買うのに2000円払うことになる。物価に比しての輸入品の高さが分かっていただけるだろう。

いやいや、それでも文句は言ってはいけない。あるだけありがたいと思わなくては。


ハーディーズサヌール店の一角、日本調味料コーナー

2013年2月18日月曜日

The Alchemist (Paulo Coelho)


国際的ベストセラーになった、この本。私の友人も絶賛する、大人のための御伽噺である。とても哲学的だ。パウロ・コエーリョの小説はこれで2冊目だが、きっと作者はとても信心深い人間なのだろう。前に読んだ”The Devil and Miss Pryme”では天使や悪魔が実在のものとして出てきたし、この話もかなり精神的だ。精神的なことを話すことに慣れていない現代人には、少々うんざりするほどに。

テーマとなっているのは、夢を信じること、そして信念をもち続けること。しかし、私はピュアな心を失ってしまったのか、どうも入っていけなかった。実際に信念を通し、何事かを成し遂げるようなノン・フィクションは大好きなのだが、この話のような大人の御伽噺は、残念ながら、説教するための作り話、としか思えないのだ。超常的な描写―例えば主人公が風と話したりする場面―を読むだけで白けてしまうのでは、子供の頃の純粋さを失ってしまったということなのだろうか。それでも、この物語のあちらこちらにちりばめられている人生の金言は読む価値がある。特に、夢を追い求めて旅を続けるか、将来を誓い合った女性のために砂漠に残るか、葛藤する主人公のサンティアゴに錬金術師が諭す言葉は印象的だ。

これは、もしかしたら、夢をもてない時、信念を失いそうになったときに読む本なのかもしれない。そんな時なら、この本のメッセージに素直に耳を傾けられるかもしれないから。そんなときのために、とりあえずこの本はとっておこうかと思う。

2013年2月16日土曜日

砂の城(遠藤周作)


久しぶりに遠藤周作を読んでみた。遠藤周作は、海外の純文学に挑戦して大火傷し、以来本嫌い、特に文学嫌いになっていた私を読書の世界へと呼び戻してくれた、私の恩人だ。高校時代に課題で読んだ、「沈黙」、「深い川」。文学という敷居の高い分野からは予想もしなかった読みやすさで、本当の文学というのは、小難しいだけではなく、面白さも伴っているものなのだと、認識を新たにさせられた。

宗教色の濃い純文学作家だと思っていたが、この小説はそんなことはなかった。解説者のいう、「軽小説」、よくある、青春小説の1つだ。しかし、出版されたのが昭和54年ということで、やはり時代を感じさせるところが多かった。描かれている若者たちは、団塊の世代、私の両親の世代だろう。

まず、主役の3人がこてこての長崎弁をしゃべっている。それが自然なのかもしれないが、今の時代の青春小説で、コミカルなキャラクターでもない主役がこてこての方言をしゃべっていることはあまりないだろう。特に、才色兼備で真面目な主人公のお嬢様が方言だったら、読者も違和感を感じるのではないだろうか。それに、現代の青春小説で、大学生の女の子が友人に、「泰子にはわからんやろけど、恋って苦しかもんよ」というのは違和感がある。むしろ小中学生のませた女の子がいうような台詞ではないか。

ついついジェネレーション・ギャップの話になってしまったが、描かれているのは、どの時代も迷いながら精一杯に生きた青春の軌跡だ。過激派に入り、飛行機をハイジャックというのはやはり時代の違いを感じさせるが・・・。どんな時代も若者たちは道を模索し、自分の信じた道を生きていく。この小説に描かれている若者たちと同世代の、両親の青春に思いを馳せた。

2013年2月14日木曜日

アトピー海外移住療法


バリに住んで何が一番いいか、とよく聞かれる。バリはきれいだし、東京みたいにあくせくしていないし、人間も温かい。いろいろな国籍の人と交流できるのもいい。でも、私にとって何が一番いいかときかれたら、アトピーが出ないことだろう。

私はアトピー患者だ。でも今私と会って私がアトピー患者だと分かる人間はいないだろう。「その年に見えない」とよく驚かれるほどのすべすべお肌だ。でも残念なことに、治ったのではない。日本に帰るとまた出る。そして日本を出るとまた治る。その繰り返しだ。時々冗談交じりに「私、日本アレルギーなの」と言っているが、半分は事実である。

日本ほどアトピー患者が多い国はない。日本ではアトピー特有の赤ら顔をした人をよく見かけるが、海外ではそんな人はほとんど見かけない。アトピーは環境病だと言われているが、まさにその通りだと思う。何か、日本特有のものが原因ではないのだろうか。そうでなければ私の症状の説明がつかないのだ。

私のアトピーは小さいときからのものだが、特に高校時代はひどかった。痒くて休み時間ごとにトイレに駆け込み、体を掻く日々。掻いちゃいけないとわかっていても、耐えるのは地獄の苦しみだ。掻きすぎて傷ができ、私の下着はどこかしらにいつも血や生臭い黄色の汁がついていた。アトピーが一番現れるのは顔、特に目と口のまわりで、自分の顔を鏡で見るのが辛かった。ステロイドで抑えていたが、ステロイドをやめようとするとすぐぶり返す。10代の女の子が一番輝くとき、アトピーでぼろぼろの顔と体ではおしゃれをする気にもならず、痒みとの戦いに毎日神経をすり減らす日々。勉強もまともに集中できなかった。しかしそれよりも、毎日私の顔を見るたびに母がため息をつくのが辛かった。アトピーのない世界をどんなに夢見ただろう。アトピーにいいといわれる不味いお茶を毎日飲んでも、甲殻類にアレルギーがあるといわれてエビ・カニを食べないようにしても、何も変わらなかった。辛い痒みに、やはりステロイドを頼ってしまうのだった。

私がアメリカへの留学を決めたのはいろいろ理由があったが、親が簡単に同意したのは、もしかしたらアトピーのお陰もあったと思う。環境を変えたらアトピーが良くなる、というのは聞いたことがあったはずだから。結果からいえば、留学は大成功だった。英語が習得できたことや、異文化で様々なことを経験したことももちろん良かったが、場所によってアトピーが出ないところもある、ということがわかっただけでも、素晴らしい成果だった。

私の留学先はオハイオ州の田舎だった。最初、比較的大きな州立大学で2,3ヶ月英語研修を受け、その後オハイオの片田舎にある大学で4年間を過ごした。行くとき、向こうでも当分は困らないようにとどっさりステロイドを持っていったが、結局ほとんど使わずに終わった。最初の1週間ほどで驚くほど痒みがなくなり、1ヵ月後にはアトピーがあったとはとても思えないきれいな肌になった。留学生活はもいろいろ大変だったが、大学4年間あの痒みに煩わされずに思う存分勉強できただけでも万々歳だった。卒業するころには、もしかして、アトピー体質じゃなくなったのかも、とも思っていたほどだった。しかし、それは大いなる間違いだった。

卒業し、日本に帰ってきて就職した私は、また同じ痒みに悩まされることとなった。なぜ日本なんかにまた戻ってきたんだろう、と本気で思った。アトピーのせいでお化粧もまともにできない。私のOL生活は、また痒みとの闘いだった。そして勤め始めて1年余り、もう我慢はできないと思った。またアトピーのない生活に戻りたかった。東京でアトピーに苦しむ生活はもう2度とごめんだ、と。

そしてOL時代に貯めたお金を資金として私はまた、留学した。今度はアメリカの北東部、コネチカット州だった。オハイオの時ほどきれいに治ったわけではないが、1年目はだいぶアトピーも軽く、ほっとしていた。やっぱり日本がいけないのだ、と思った。しかし、2年目になりひどくなった。多少日本にいた時と症状は違ったが、痒いのには変わりない。掻けば皮膚が大きなふけの塊のようにぽろぽろ落ちた。指が痒くて掻いてはれ上がり、曲げられないほどになった。耳の後ろが痒く、掻けばジュクジュクした液が出、その液が髪の毛を固めることもあった。学校に行けば皆私の顔を見てどうしたのかと聞く。ビタミン飲んだらいいよ、いい漢方医知ってるよ、うちの従姉も似たような皮膚病したことがあってね、と会えば必ず私のアトピーの話になり、辟易した。お願いだから放っておいてほしいと思った。アメリカでアトピーなんて知っている人は少ない。特効薬のない、治療法がない病気だといっても分かってはくれないのだ。

大学病院の皮膚科の医者は、アトピー(Atopic eczema)はアメリカでも珍しくないと言った。特にこの北東部、ニューイングランド地方では多いのだと。どうやら、私は留学先を間違えてしまったらしかった。医者は血液テストをし、小麦を避けるように言った。以来、私の小麦断ちの生活が始まるのだ。

しかし、小麦を断っても症状はいっこうに良くならなかった。林学を勉強していたので、修士課程修了後、学校の演習林で3ヶ月研究助手として働いたが、そこでも症状は最悪だった。フィールドワークでアトピーというのは最悪だ。汗をかいて痒くなっても、手はフィールドワークで汚れ、掻いたらばい菌が入るのは分かりきっている。演習林で澄みきった夜空を見ながら、、私のアトピーは単に空気の汚さに反応しているのではないということを確信した。

多くの留学生が卒業後もアメリカにとどまり、就職活動をする中、私は日本に帰ってきた。あんなアトピーがひどいところにこれ以上留まってなるものか、という感じだ。そして驚いたことに、日本に帰ってきて多少症状が好転した。決していい状態ではなかったが、少なくとも、大学院2年の時の最悪の状態よりはましだった。ステロイドを使ったせいもあっただろうが。

その後、熱帯雨林に関係する仕事を求め、インドネシアはバリ島にやって来たが、こちらに来て、アトピーはすっと消え去った。以来4年間、アジア各国への海外出張も多いが、日本に帰ったとき以外、アトピーに悩まされたことはない。そして、日本からこのバリに帰ってくると、またアトピーはすっと消える。

「国に帰りたくないの?」「家族が恋しくならないの?」とよく聞かれる。別段ホームシックにかかったことはないが、それでもたまに日本の美しい四季が恋しくなる。もう何年桜を見ていないことだろう。しかし日本に帰ればアトピーに苦しむ生活が待っていることは目に見えている。痒くて痒くて、生活や季節の移り変わりを楽しむ余裕はきっとないだろう。そして、アトピーは心さえも蝕む。アトピーがひどいときにはひどく後ろ向きな気持ちになり、未来を見出せなくなるのだ。それを考えると、今、このバリでの生活は天国である。

アトピーで苦しんでいる人に提案してみたい。一度、住む場所を変えてみたらどうですか、と。そして、日本国内でだめなら、思いきって海外も試してみてはいかが、と。

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2013年2月12日火曜日

Please Look After Mom (Kyung-Sook Shin)


初めて韓国の小説を読んだ。別に韓流好きというわけではない。韓国のドラマも映画もほとんど見たことがない。韓国のストーリーは必要以上にドラマチックと聞いていたが、これはそんなことはなかった。むしろ、ストーリーではなく、その中のメッセージが読者を捉えて放さない。

ストーリーは極めて単純だ。69歳になる母が行方不明になった。息子家族の家へと向かう際ソウル駅で夫とはぐれ、その後行方が分からなくなったのだ。そこから特に話が展開することもない。ただ淡々と過ぎる時の中で家族は懸命に捜索し、その途中、数々の眠っていた思い出を記憶の底から掘り起こしてゆく。視点は長女、長男、父(夫)、そして本人と変わりながら、家族のために生きた一人の平凡な女性の人生が描かれてゆく。

この単純なストーリーが世界的ベストセラーになったのは、はやり普遍的なメッセージが込められているからだろう。生まれてきたときからずっとそこにあった、当たり前と思っていた存在。いなくなって初めてそのあまりにも大きな存在に気づく。自分の全てを犠牲にして家族に尽くしてきた母、あまりにもそれが当たり前で思いを寄せたことさえなかったが、その人生は幸せだったのだろうか。

「どうしてお母さんははじめからお母さんだと思っていたんだろう。お母さんにはお母さんの人生があって、夢があったはずなのに。」末っ子の次女の言葉は、読者へのメッセージに他ならない。
これは、世界中のどの地域、どの文化に移しても成り立つ小説なのではないだろうか。忽然と消えてしまって初めて気づく、大切な存在。この小説の中で悲嘆に暮れる家族のようなことにならないよう、小説は私たちを戒め、その存在のありがたさを教えようとしているのかもしれない。

文章の端々で韓国の伝統文化が描かれているのもよかった。この本は英語で読んだが、しかし、もしできるなら、日本語訳で読みたかったと思う。日本語のほうが韓国語に近いし、文化的にも原文に近い雰囲気が味わえたのではないだろうか。なかなか考えさせられる本だった。


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2013年2月11日月曜日

ライオンハート(恩田陸)


恩田陸の本を読んだのは「六番目の小夜子」、「夜のピクニック」に続いて、これが3冊目だった。また随分違った傾向のものを書くものだと思った。

これは、一応恋愛ものということになるのだろうか。しかし、普通のラブストーリーが描く、仲が進展していったり、すれ違ったりという男女の間の話は一切ない。ただ、時空を超えてつかの間出会い、別れるだけ。過去・未来・前世・現世・来世――全ての記憶は交錯し、いつから始まったのか、なぜそういう運命なのか、そしてなぜ一瞬しか会わない相手にそんなにも惹かれるのかもわからない。しかし男女はいくつもの違う時代をほんの一瞬会い、別れるために生きる。

だから何なんだ、と思う人もいるだろう。私もストーリーがあるような、ないようなこの話に多少消化不良の感は否めなかった。はっきりとしたストーリーラインの恋愛小説のほうが余程わかりやすい。しかし17世紀のロンドン、19世紀のシェルブール、20世紀のパナマ、ロンドン・・・普段あまり触れることのないそうした時代がひとつひとつ描かれていて、その中には歴史的事件を登場させているのも多い。それだけでも少し勉強したような気になるし、そうした時代に思いを馳せるのも悪くない。

特別面白いというわけではないが、独特の雰囲気をもった作品だった。おもしろい試みだったと思う。


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2013年2月9日土曜日

インドネシアの不便さ


発展途上国というと、さぞかし不便な生活をしているのだろうと多くの日本人は思うのではないだろうか。しかし、私は特別バリでの生活が不便だと思ったことはなかった。もともと、テレビも映画もなくても大丈夫な私だ。現代ではインターネットのほか、携帯電話やスカイプというものもあるし、バリには日本食レストランもたくさんある。公共交通がなかったり、インターネットが遅かったり、時々停電したりはするが、それも慣れればどうってことはない。しかし、今日ははっきり思った。やはりここは不便かもしれない、と。

バリで日本書が手に入りにくいのは、前、ラーメン屋ごん太の記事で書いた。そこで思い立った。今の時代、電子書籍という方法があるではないか!手のひらサイズの電子リーダーさえあれば、いつでもどこでも好きな本を買え、持ち運べ、読むことができる。わざわざシンガポールの紀伊国屋で高い日本書を買わなくても、インターネットを通して話題の本がいつでも手に入り、出張先にも持っていける。

早速Eリーダーについて調べてみた。買うとなれば良質のものがいい。いろいろ調べた結果、アマゾンのKindleがよさそうだ。値段もお手ごろで、これならすぐにでも買える。早速買う気になったのはいいが・・・しかし!このバリでKindleを売っているところはいまだに見当たらない。もともとインドネシア人は本を読む習慣がないのだ。図書館も本屋もほとんどない。電子書籍の需要も当然少ないから、売っていないのも当然といえば当然だった。

意気消沈したが、専用のEリーダーでなくても、その機能をもつ便利なものがあることを知った。iPad Miniだ。Kindleほどの大きさで持ち運びしやすく、電子リーダー機能もある。ちょうどパソコンも古くなり、買い替え時だと思っていたので、ちょうどいい。値段はKindleと比べるとずっと高価だが、ひと昔前、30万近くの貯金を下ろしてパソコンを買ったことを考えると決して高くはない。よし、iPad Miniを買うぞ!そう決心して、私はクタにあるアップルの専門店まで足を運んだのだ。

しかし、なかった。ショックを受けている私に店員さん。
「iPad Mini?インドネシアにはまだ来てないよ。いつ来るって?さあ、分からないなあ・・・来月だったらいいね。」
iPad Miniがリリースされたのは去年の11月。同時にiPad 4も発売された。しかしどちらもまだインドネシアには来ていない。お店に並べられていたのはiPad 3までだった。最新式のものからは、この国は遠い。そういえば、昔、アマゾンで本をオンラインで購入しようとした際、インドネシアへの配達は受け付けていないことが分かった。高い送料は覚悟でそれでも求めた本だったのだが・・・。

iPad Miniがこの国に届くのはいつになるのだろうか。結論、やっぱりこちらは不便かもしれない。


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2013年2月8日金曜日

夢にも思わない(宮部みゆき)


「今夜は眠れない」の続編というべき、シリーズ第2弾。「今夜は眠れない」の温かな読後感が好きだっただけに、それを期待してこちらも読み始めたのだが、やはりそれを毎回期待するのは無理だったか。

相変わらず中1の緒方君と島崎君のコンビはほほえましいし、緒方君の恋模様も初々しくて可愛い。しかし最後で明かされたのは、その初恋の彼女の思わぬずるい一面、いや、弱い一面だった。全てが素晴らしく見えていた彼女への瑞々しい初恋はあっけなく終わることになる。それは成長する上で誰もが経験することだし、ストーリーも楽しめたのだが、やはり読後感はあまり良くなかった。追っている事件の背景自体が暗いせいもあるだろう。次作はシリーズ1作目のような爽快な結末を期待したい。

2013年2月7日木曜日

まほろ駅前多田便利軒(三浦しをん)


便利屋を営む多田のもとに、ひょんなことからかつての同級生、行天が着のみ着のままで転がりこんできた。風変わりで何を考えているかわからない、行天の出現により、便利屋の仕事も妙な方向に転んでゆく。親に愛されない少年、日々を明るく生きる自称コロンビア人娼婦、ヤクザ、赤ん坊の時に取り違えられたかもしれない男。親に愛されずに育った行天、過去の傷から立ち直れずにいる多田は依頼を通し、多くのユニークな人間と出会う。それぞれに悩みを抱え、それぞれの幸福を求める人々だ。

この本の中では、いくつかの依頼が独立した短編のようになっている。そのストーリーだけを追っているだけでも楽しめるが、作品のテーマは、最後の文章に凝縮されている気がする。「今度こそ多田ははっきり言うことができる。幸福は再生する、と。形を変え、さまざまな姿で、それを求めるひとたちのところへ何度でも、そっと訪れてくるのだ。」と。

失った過去の幸福に苦しみ、「知ろうとせず、求めようとせず、だれとも交わらぬことを安寧と見間違えたまま、臆病に息をするだけの日々」を送っていたはずの多田。過去の幸福は取り戻せずとも、この最後の文章が示すように、別の形の幸せを求め、歩き出すのだろう。希望のもてるラストがやさしい余韻を残す。

2013年2月6日水曜日

ひな祭り



お雛様を出した。といっても大したものではない。紙で出来た飛び出すカードの7段のお雛様である。もちろん、ここバリにはお雛様を飾る風習もないし、春の訪れを待ちわびる季節感もない。ここは常夏の国、乾季・雨季の2つの季節があるばかりで、折りしも今は雨季の真っ盛り、毎日バケツをひっくり返したような雨が降っている。しかし、この時期になるとこのカードのお雛様を出すことは、ここ数年来の習慣になっている。

このカードのお雛様は私がアメリカに大学院留学中、姉が送ってくれたものである。「ひなまつりが近いので、送ります。まあ、かざってみてよ。」と一言添えられていたはいいが、私が受け取ったときは、既に33日は過ぎていた。もしや私を自分より先に結婚させまいとする姉の画策ではなかろうかと、あらぬ疑いが頭を掠めたものだ。

カードを開いて驚いたのは、これが実家にある私たちのお雛様に良く似ていたことだった。もちろん、雛壇に置かれる人形や道具の種類などは似たり寄ったりなので驚くには値しないのだが、お雛様によっては、お雛様の冠がやたらと華美だったりするものや、欄干や階段がついているもある。姉が送ってくれたカードは、立派だが必要以上の派手さはない、標準的な7段のお雛様で、まさに私たちのお雛様をカードにしたかのようであった。

実家にあるお雛様は7段飾りの立派なもので、住宅のスペースが限られる都会では7段のお雛様を持っている同級生は少なく、小さい頃から密かな自慢だった。7段のお雛様は出すだけでかなりの重労働だったが、それでも昔から、面倒ながらも出すのも楽しかった。毎年出すたびに上の段に手が届くようになり、最上段のお雛様が自分で飾れるようになったのは、いつのことだっただろう。お雛様は小さな家のかなりの部分を占領したが、たとえ家が狭くなっても、自分のお雛様が家を占領しているというのは悪い気はしなかった。

決して広くはない都会の公務員住宅で、お雛様が飾られるのは、居間の隣にある、夜は父と母の寝室となる畳の部屋だった。お雛様が出されると、当然、父と母は部屋の真ん中に布団を敷くことは出来なくなり、お雛様の前と横の限られたスペースに布団を敷くしかなくなる。狭い家の中心に堂々と据えられたお雛様の横で、窮屈そうに寝る父と母。その構図はまるで自分が家で一番偉くなったようで、両親にはどうしても頭が上がらない子供時代、大変気分の良いものだった。両親が自分のせいで狭い思いをしているのをほくそ笑んで見ていたのだから、大変な親不孝者である。

いつだってお雛様はモノクロームの季節の終わりを告げる、春の先駆けだった。燃えるような真紅の緋毛氈に、金の屏風。パステルカラーの雛あられに、母が活ける菜の花の目が冴えるような黄色。そして夕食に食べる散らし寿司の金糸卵に、上に乗っけられたイクラの輝くばかりのオレンジ色。この華やかな色合いのお祭りには、冬の沈鬱な気分を吹き飛ばしてくれる魔法があった。7段の後ろのスペースが秘密の隠れ家のようで、どきどきしながら遊んだ幼年時代。わざわざ着物を出して着た年もあった。姉の送ってくれたカードの7段飾りを見ながら、そんな思い出が浮かんでは消える。

うちのお雛様に最後に会ってからもう何年経つだろう。今年もまた、母はあのお雛様を飾るのだろうか、とふと思う。姉も私も出て行った家で、未だに自分の家族を持たない30過ぎの娘2人のために。


2013年2月5日火曜日

夜のピクニック(恩田陸)


○○賞というのはあてにならない、といいつつ、やはり賞を取った話題作品には興味が引かれる。この本を手に取ったのも、第2回本屋大賞に輝いた作品、ということからだった。

話の筋としては、いたって単純だ。全校生徒が夜を徹して80キロ歩きとおすという学校行事を題材に、ずっとわだかまりを持ち続けていた異母兄妹とその仲間の、何でもないようで、それでいてかけがえのない青春の1ページが描かれている。

奇抜な設定も、ドラマチックなストーリーの展開もなく、日常からかけ離れた事件が起こるわけでもない。青春小説定番の恋愛さえも、要素として使われている程度であって、全面には出てこない。あくまで登場人物は、どこにでもいるような、平凡な等身大の高校生であり、ストーリーも実際にあっても全然おかしくないようなものだ。

不自然に意識し合い、ずっと話さないでいた貴子と融は、歩行祭の終わり、いつの間にか普通に会話をするようになっている。
「――もっと、ちゃんと高校生やっとくんだったな」
「損した。青春しとけばよかった」
「ちゃんと青春してた高校生なんて、どのくらいいるのかなあ」
これは、青春を通過した大人たちの大多数がもつ感想ではないだろうか。え、青春ってこんなにあっけないものだったの、と。しかし、やはり振り返って思うのだ。ドラマチックな恋愛も、全てをかけた勝負もなくても、やはりあれが私の青春だったのだと。この本は、そんなありのままの青春を思い出させてくれる本だった。