2014年9月21日日曜日

老けメイクへのこだわり



あと一週間で連ドラ「花子とアン」も終わる。なかなか良かった。魅力的な脇役に彩られ、なかなか楽しませてもらった。しかし、ひとつだけどうしても気に食わないことがある。それが老けメイクだ。

朝ドラに限らず、大河でも他のドラマでもそうだが、実在の人の半生、いや一生を描くようなドラマでもなぜか登場人物が老けない。話の内容からして、サザエさんワールドでは済まされない。本来ならば60近い登場人物たち。老眼をかけ、渋い着物を着てもやはりぴちぴちのお肌がまぶしい。私がこれを言うと母などは「今の50代の人ってあなたがいうほど年取ってないよ。若いんだから。」と言うが、それにしたって無理がある。

ほぼ毎日であろう収録で、何時間もかかる特殊メイクに時間を割くのは難しいということはわかる。若く見えるほうが画面で見えがいいという意見も否定はしない。また、美人女優さん達は老け顔を画面に晒すのには抵抗もあるだろう。それでも、私はできるだけリアリスティックに年を取らせたほうが、無情な時代の流れというものが強調され、内容に重み、深みが出ると思う。

例えば、戦争で印刷会社を閉めなくてはいけなくなった際に夫を励まそうと、花子が夫に「踊ってくださらない?」とおどけて誘い、二人が踊るシーンがあった。設定ではこの時点で二人とも中年になっているが、画面では相変わらずの若夫婦だった。ドラマを見ている方としては、二人が結婚したのもせいぜい23ヶ月前のことなのだからあまり年月が経ったという意識はなく、単に新婚夫婦が踊っているようにも見えた。しかし、もしこの二人がちゃんと年をとって見えたなら、二人の過ごした歳月、培った絆が強調され、味わいや切なさが加わったことだろうと思う。

登場人物の老け具合で見事に年月を感じさせ、その深みに感動した作品がある。90年代のハリウッドの名作、「陽のあたる教室」だ。この話は、作曲家になれず、しぶしぶ音楽教師になった主人公の30年間の音楽教師生活を描いたものだった。最初30歳の若々しい新人教師として登場した主人公は、仕事や家庭で紆余曲折を経ながら、多くの生徒に影響を与え、最後、退職を迎える。最後のシーンでは、彼を感謝を以て送り出そうと、彼を惜しむ過去の生徒が一堂に会し、彼の作曲した交響曲を奏でるのだ。

この映画での登場人物の老け方は見事だった。白髪を増やすなどという表面上のものではない。どんどん上に上がってゆく生え際、顔や手に刻まれる皺、だんだん出てゆくお腹。彼を見ただけで、刻まれた月日がひと目でわかった。そして、それは主人公だけではなく、彼に寄り添う妻、時には彼と衝突する校長先生など、登場人物全てだった。当然、「それから10年の月日が経ちました」などというナレーションは無用だ。私は、最初この映画が実際に30年かけて撮影されたのだと思ったほどだった。

最後に彼を送り出すパーティーでは、彼が若い頃教えた生徒(つまり映画の最初の方に登場した高校生)が、中年のおばさんとなって現れる。若かった彼女の顔にも刻まれた年月。過ぎ去った時が切なく、そして限りなく愛おしい。人の老いを画面で忠実に描かなかったら、最後の感動はあり得なかっただろう。

2時間ちょっとの映画と、半年続く朝ドラでは同じ完成度を要求する方が無理だというのはわかっている。しかし、「花子とアン」の場合、初回、花子の老けメイクがあまりにも見事で、期待してしまった。しかし物語を追っていっても一向に花子は老けず、戦争が終わっても肌はぴちぴちのままである。初回の画像とつながらない。

実在の人間をモデルに、人の一生を描く作品なら、老けメイクでもう少し年月の重みを出して欲しかった。ストーリーが起伏に富んでいて、登場人物も魅力的で楽しんでいた分、そこだけが残念だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿