2014年4月22日火曜日

悼む人(天童荒太)

人が死んだ場所を訪れ、その人が、愛し、愛され、感謝したことを聞き、悼みの旅を続ける坂築静人。その旅路が縦糸、夫を殺した女、人の死をネタに稼ぐジャーナリスト、そして彼の帰りを待つ家族の生と死の物語が横糸となり、話が紡がれてゆく。

扱われているテーマは深いし、物語の構成要素となっているひとりひとりのエピソードも面白い。
それでもどうしても私がこの話を好きになれなかったのは、私がこの悼みの旅に全く共感できないからだろう。

「ここに、愛し、愛され、感謝された人が生きていた。そうした人の死を知らず、忘れていていいものだろうか」これは、物語の中で何度か繰り返される問いだ。主人公の答えはNoだからこそ悼みの旅が続くのだろうが、私自身の答えは、はっきりYESだ。死んだ人は忘れてもいい、いや、仕方ない、なぜなら過去は無限にあり、人は未来に向かって生きていかなければならないから。過去に捕らわれ、生きていても幸せにはなれないから。

過去に後悔がある場合、それを清算することも必要だろう。それを助けたという意味で悼みの旅も全く意味のないものではないのかもしれない。 しかし、この主人公は過去に生きた、自分の知らない人を悼むことで自分が生きるのを忘れてはいないだろうか?それによって、どれほど家族が不幸になっているか、わからないのだろうか?この兄の奇行により結婚が破談になった妹に、父なし児になってしまった赤ん坊。最期の最後まで心配し続けた母。家族の現在を犠牲にしても身も知らずの人々の過去を覚えるのが大切だというのか。

結局、私はこの物語の言わんとすることがわからなかったのかもしれない。結局イライラ、もやもやしただけで終わってしまった。


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