2015年2月1日日曜日

イスラム国と日本の共通点



日本人が2人、イスラム国によって人質となり、殺害された。人の命や人々の生活を踏みにじり、テロ行為を繰り返すイスラム国。その姿はさながら悪の化身のようだ。

しかし一方で考える。近い歴史の中で似たようなことはなかったかと。死を恐れず、自らの信じる神の下、周辺国を侵略し急速に勢力を拡大した、そんな国がなかったかと。第二次大戦中の日本にどこか似ている、そう感じるのは私だけだろうか。

もちろん、日本人としてはこの例えは面白くないものに違いない。あんな狂信的な宗教集団と一緒にするなと言う人も多いだろう。もちろん、違いはある。イスラム国と違い、日本は元から長い伝統をもつ国家だったし、やったことも勿論一緒ではない。しかし、私が言うのはあくまで外から見た話だ。

日本の天皇崇拝も、外から見れば狂信的としか思えなかっただろう。自ら命を捨てるように戦う姿も人間とは思えなかったに違いない。そして、日本側にどれだけ言い分があるにせよ、偶然が招いた歴史だったにせよ、外から見ればやはり真珠湾攻撃は宣戦布告前に行われた、テロ攻撃だった。

日本は外国人を人質に取り、要求が聞き入れられなければ殺すなどということはしていない。しかし、時代もメディアも違うのだ。日本は代わりに、多くの捕虜に強制労働を課し、虐待と非難される待遇で死なせた。イスラム国ではイスラム原理主義の下、女性が売買され、ひどい扱いを受けているという。日本もアジア各国で現地女性を従軍慰安婦とし、その暗い歴史は70年経った今も未だに清算されていない。

イスラム国は悪鬼の集団なのだろうか。人間の血が通わない悪の権化なのだろうか。イスラム国の戦士たちは、本当に自分の命をも厭わない殺戮マシーンなのか。今から70余年前は日本がそう思われていたことだろう。

だから、信じたい。
国のため死ぬのは名誉、本望という建前の下、決死で戦うイスラム国の戦士の心にも、愛する人や家族がいるのだと。聖戦に戦士を送り出す家族には計り知れない悲しみがあるのだと。そして、イスラム国という組織ができ、急速に発達した背景には、日本が戦争に踏み出さざるを得なかったのと同様の悲しい理由があるのだと。

戦後70年。70年の後には、イスラム国のある辺りも平和を謳歌しているだろうか。今の戦争の話が、その時代を知る古老によりと昔話のように語り継がれているだろうか。そんな時代の来ることを祈りたい。

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