2013年12月19日木曜日

食物アレルギー人間の本音




突然だが、私は小麦アレルギーだ。食物アレルギーと言えば子供に多く、アレルギーをネットで検索してみればアレルギーの子供のために頑張るお母さん方の料理レシピやブログ日記などあふれている。しかし、アレルギーの本人が本音を語ったものは意外と少ないような気がするので、その本音を書いてみることにする。アレルギーの人間は色々なところで気を遣われるけれど、時々その気の遣いかたがずれているというか、ありがた迷惑に思うこともあるので。実際に迷惑をかけている立場なのはわかっているけれど。

私の場合、小さいときからのものではなく、数年前、大人になってから発症した。以来、パン、ケーキ、パスタ、ピザをはじめ、色々なものが食べられなくて不自由している。しかも、前はちょっと痒くなる程度だったのだが、気がつけばどんどん敏感になっているらしい。ちょっと前までは「そこまで敏感じゃないから、少しくらい入っていても大丈夫、そんなに神経質にならなくてもいいよ」と言っていたのだが、最近ではかなり神経質にしなくてはいけなくなった。

日本でも随分アレルギーの認知度が深まっている。私が今いるインドネシアや出張でよく行く中国で小麦アレルギーなどと言えば、「何それ、小麦食べられないの?何で?変なの。」という反応が返ってくることもしばしばだが、さすがに日本ではそんなことはなくなった。レストランでも表示ができたりして、とてもありがたい。

この間出張で行ったオーストラリアもアレルギー先進国だった。レストランのメニューには、グルテンフリーのGマークが自主的に表示されているところも多く、理解が行き届いていた。しかし行き届きすぎて、私はジレンマに陥った。とあるレストランでのことである。

前菜に運ばれてきたパンを理由を言って断ると、別のパンが運ばれてきた。びっくりしていると、「グルテンフリーのパンだよ」と、店員さんがウィンク。一瞬感動したが、同時に心の中で叫んでいた。「余計なことしなくていいのに!!!」

そのパンが本当にグルテンフリーかどうか、見かけで判断するのは不可能だ。そして、わざわざもって来てくれたパンに手をつけないと、まるで私が店を信用していないかのように思われる。気を遣わせておいて、相手を信用せず、その気遣いを無駄にするというのはあまりにも無礼な話だ。でももし、万が一このパンがグルテンフリーでなかった場合、あるいは何かの手違いで少量でも小麦粉が混ざっていた場合は大変なことになりかねない。明日から仕事だ。ここで面倒なことにはなりたくない。さて、どうしたものか。

礼儀か安全かのジレンマに陥り、ロシアンルーレットを回すような気持ちでしばらく真剣にパンとにらめっこしていた私。となりのテーブルに座っていた老夫婦に「パンがめずらしいのかい?」と聞かれてしまった。結局、パンは小さく切って紙ナプキンに包み、店員に見つからないよう、持って帰った。薬が手元にあることを確認してから一口食べて様子を見、30分後にまた一口食べ、さらに十数分後反応がないのを見て、全部いただいた。何のことはない、正真正銘安全なグルテンフリーパンだった。疑ってすみません。

しかし私が慎重なのにもれっきとした理由がある。以前、友人がグルテンフリーのケーキを買ってきてくれたことがあった。友人は私が不安がらないように、グルテンフリーとして売られているところの写真と、グルテンフリーと書かれたレシートをわざわざ見せてくれた。わざわざ私のために買ってくれたケーキ。私は喜んで食べて・・・そして大変なことになった。そのグルテンフリーケーキを売った店のその後の弁明によると、店員が普通のケーキと同じナイフを使って切ったのではないか(つまり普通のケーキがわずかに混入してしまった)ということだったが、反応のひどさからして、私は店員が普通のケーキととり間違えた(つまり私が食べたものは100%普通のケーキだった)ものだと思っている。そこから得た私の教訓。よくわからないものは口にするな、怪しきは疑うべし。

もちろん、グルテンフリーのケーキだってパンだって、パッケージにそう書かれていて、密封されたのであれば、私も安心して食べる。しかし、密封されていないのはどうも不安だ。見た目からはそうとわからないのは本当に怖い。おわかりになるだろうか、厚意・親切100%で出された、見た目そうとはわからないアレルギー除去食をロシアンルーレットを回すような気持ちで食べなくてはいけないアレルギー人間の気持ちが。気を遣ってくれるのは、とてもありがたい。でも、どうせ気を遣ってくれるのなら、周りとは違っても、安全が目に見えるものを用意してくれたほうがありがたい。

アレルギーということで、色々なところで人に気を遣わせてしまっているのはこちらも申し訳ないと思う。何か食べ物を勧められても、アレルギーだと断る。そうすると、勧めたほうにも申し訳ない気持ちを味わわせてしまう。特に相手が以前からアレルギーのことを知っていて、つい忘れてしまった場合、忘れていたことにちょっとした罪悪感さえ感じてしまいかねない。だから、「ご迷惑をかけてすみません」ということもある。しかし、もしあなたがこの言葉を家族や友人のために言っているとしたら、絶対にやめたほうがいい。この言葉は本人だから言えるものだ。どんなに家族や友人の痛みを自分のものと感じていても、だ。

あなたがアレルギーの友人や家族を気を遣ってくれた人に「ご迷惑をかけてすみません」「ご迷惑をおかけします」といったとしよう。それがアレルギー患者本人には、どう聞こえるか。これはきっと言われた本人にしかわかるまい。「あなたは人様に迷惑をかけているのよ」「あなたはいるだけで迷惑なの」と言われているように聞こえるのである。もしアレルギーの子供がこんな言葉を毎日聞いていたら、自分はいるだけで迷惑なんだ、思いかねない。私は大人になってからアレルギーになったが、この言葉を聞くと、「悪かったね、そんなに迷惑なら別に一緒に食事してくれなくていいよ。自分で勝手に好きなもの食べるから」と思う。私は大人なんだから、自分で食事の世話ぐらいできる。そうすれば、誰にも迷惑はかけない。しかし、それができない子供は、この言葉によって引け目を感じてしまうかもしれない。

感謝するのなら、「すみません」ではなく、「お気遣いありがとうございます」のほうがずっといい。本人だって好きでアレルギーなんてやっているんじゃない。何も悪いことはしていないのだ。謝るほうがおかしい。世の中目が不自由な人も、足の不自由な人もいる。小さな子供を抱えているお母さんだって、周りに気を遣わせている。でも、「すみません」はおかしい。みんな、持ちつ持たれつなのだから、迷惑をかけて「すみません」ではなく、お気遣い「ありがとうございます」と言いたいものだ。

全く気を遣わない、という手もある。「悪いけどこちらでは特別な対応はできない。自分で食料は確保してくれ」と言われたこともある。状況によっては大変だっただろうが、前もって言ってくれれば、あとは自己責任だ。突き放されるのは多少悲しいが、変な気を遣わせない分気楽でもある。むしろ、自分が他の人間とは違うことはわかっているのだから、色々なところでちょっとした問題に直面するような覚悟は、アレルギー人間にとっては当たり前のことだろう。

一番困るのが、アレルギーなんて大したことないと勝手に考えて適当に対処することだ。「ちょっとぐらい入っているかもしれないけど、大丈夫よね?」とか、食事の準備を整えられた後で言われましても。

一方で、気の遣いすぎも結構重荷だ。他の人とはあからさまに違う特別食なんて出されたら、こちらが恐縮してしまう。飛行機の機内食では、アレルギー除去食やベジタリアン食などは他の人に配る前に、まず真っ先に出てくるが、あれが苦手なのは私だけだろうか。もちろん、すごくありがたいし、注文をつけられる立場ではないのは重々わかっているのだけれど。

大げさに気を遣うのではなく、気を遣ったことすらわからなせないぐらいの、やさしい気遣いが、結局一番うれしい。アレルギーがあっても食べられるようなものがあるレストランを何気なく選ぶとか、そんな気遣い。それに気付いたとき、そのやさしさが一番心に沁みる。あとは、アレルギー患者が出されたものを拒否した時または残した時、お願いだから気を悪くしないでほしい。食事を用意する側の対応を疑っているとか、不始末を責めているようにも感じるかもしれないが、自分の安全に代えられるものはないのだから、こちらにとっても仕方ないことをどうかわかってほしい。

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