2013年5月12日日曜日

給食と日本文化の知られざる関係



先日、Facebookで、日本の小学校に子供を入学させたインドネシア人の書いた記事が評判を集めていた。どうやら参観日があったのか、日本の学校を見学した彼は、日本の初等教育にいたく感心していた。まず、参観日というもの自体目新しかったようだが、彼の目を捉えたのは、給食と掃除の様子だ。給食では児童が代わりばんこに配膳し、片付ける。そして、毎日教室の掃除は児童にやらせ、それが教育カリキュラムに組み込まれている。自分で用意し、自分で片付けるということを毎日やることで、自然とそうした習慣が身につくのだ。

日本では、レストランはともかく、大衆食堂やフードコートのようなところでは、食べ終わった後、自分のお膳を戻すのは当たり前だ。しかし、これは実は日本特有の文化だったりする。インドネシアを含め、海外、少なくともアジアの多くの国では決して自分で片付けない。掃除係が必ずいて、お膳を下げてくれるのが当たり前なのだ。以前、これを知らず、食べ終わったあとのトレイを持ってきょろきょろしていた私は、清掃の人から相当胡散臭い目で見られた。会社でも日本でなら自分の使ったものはある程度自分で片付けるのが常識だろう。しかし、インドネシアでは清掃係に丸投げだ。自分の使ったコーヒーカップだって、清掃係に洗わせるのがこちらの常識なのだ。

自分のものは自分で片付ける、日本の文化を美しいと思う。海外から日本に来た旅行者は、決まって日本の町並みの清潔さに驚くが、これはやはり自分のものは自分で片付ける文化なしではあり得ない。この文化を誇りに思いこそすれ、それがどこからやってきたものか思いもしなかったが、Facebookの記事を読んで、これは初等教育を通して培ったものなのだと思い至った。

給食は、日本ならではの制度だ。海外の多くの学校では、児童の昼食は家庭が用意するものだ。あるいは業者に全て委託しているところもある。もちろんこの場合、児童は配膳も片付けも何もしない。日本では児童の買い食いは悪とされているが、田舎の小さな小学校では児童が授業の合間に学校のすぐ近くの売店でちょっとしたおやつを買って食べるのも一般的だ。掃除も、アメリカなどでは全て清掃係を雇い、児童にやらせることはない。自然、自分が汚した結果を始末することもないので、児童は汚すという行為に関して無頓着になる。

海外に来て、「たつ鳥後を濁さず」という日本文化がいかに稀有なものであるかを見てきた。もちろんこれは古くからある概念ではあるだろうが、これが現代の日本人に体得され、社会の習慣とまでなっているのは、やはり小学校生活の影響が大きいだろう。初等教育侮るなかれ。学校は知識だけではなく、文化も育むところなのだと改めて思い知らされた。

とあるショッピングセンターのフードコート。
食べ終わった後のトレイは置き去りのまま。

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