2013年10月1日火曜日

下流の宴(林真理子)



医者の娘で国立大卒、夫は有名大卒、一流企業勤務。そんな「中流」で「平凡」な家庭を築き上げてきたはずの主婦、由美子。しかし息子・翔は高校中退後ニートとなり、沖縄離島出身のフリーターの珠緒と結婚すると言い出した。中流家庭のプライドと名誉を賭け、由美子は猛反対。あからさまに馬鹿にされた珠緒は売り言葉に買い言葉で医者になることを宣言する。普通は誰もが憚って口に出さない、階級意識、差別心理が露骨に描かれている。

由美子の階級意識は確かに露骨で、嫌らしい。珠緒を上から見下すような態度、もの言いは何様と言う感じだ。しかし、私たちは本当に由美子を笑えるだろうか。ニートの息子がフリーター娘と結婚を宣言する、なんてことがなければ、いや、普通に息子が学校さえ行って入れば、由美子は、品のいい常識ある奥さんでいられたに違いない。「育ちが違う」などとえげつないことを言って結婚の反対をする必要などなかったのだ。むしろ、平常時ならば由美子は、階級意識をあからさまにして差別するような人を見たら眉をひそめ、たしなめるような常識人だっただろう。自分の中の差別意識にも気づかずに。

この本で描かれる「中流」は、平均的ということではなく、かなり社会的、経済的にも恵まれた、いわゆる「いい家」だ。しかし、そうでなくても子供の結婚相手の家を調べ、結婚相手として適当かどうか判断しようとするのは、古今東西同じではないだろうか。うちだって、もし私がフリーターと結婚したいと言ったら、やはり親はパニックを起こすに違いない。そして、子供の幸せを願うという名目のその行動は、階級意識と差別心理にしっかり裏づけされている。私自身、これから家庭を築き、子供が成長し、由美子と同じ立場になったら、受け入れられるか甚だ疑問だ。あからさまに「うちはあなたとは世界が違う」と口にしなくても、いい気はしないし、心ではそう思ってしまうに違いない。

沖縄の離島出身でおおらかな価値観を持つ珠緒が家を馬鹿にされたことで一念発起し、医者を目指す姿は、さすが小説という気がしないでもないが、痛快だ。一方で、玉の輿に乗ることだけを目標とする見栄っ張りの娘、可奈の姿は浅ましい。そんなに人に乗っかって贅沢がしたいのか。

この本では、様々な人物のプライドがぶつかり合う。由美子の中流の主婦としてのプライド、珠緒の自分の名誉を守るためのプライド。懸命に受験勉強をする珠緒は言う。「一生懸命何かやるとさ、やっぱりプライドっていうもんは自然と生まれてくるさー。」この台詞には完全に同意する。だから、由美子の医者の娘という気位の高さは好きになれなくても、「国立大学を出た」というプライドを否定する気はない。人間として自分の努力を誇りに思うのは当然のことだし、それには努力をしてこなかった「あっちの人たち」と自分は違う、という意識が付随してくるのも仕方ないかと思う。一方で、玉の輿に人生をかける可奈のプライドは何のなのかと思う。他力本願の贅沢人生を夢見る彼女のプライドは、薄っぺらくて、浅ましい。

ニートで何の欲も希望ももたない翔も、「僕にだってプライドというものはある」と言うのだが、この若者のプライドとは一体何なのだろう。馬鹿にされたくないというのなら、今のままでは将来馬鹿にされ続ける道を着実に歩んでいるのだとなぜわからないのか。何かをやるエネルギーも、欲も、夢見る力も何もない、それは即ち人間として生きていく気力がないということなのではないだろうか。祖母の満津恵も言っているように、これでは生ける亡霊も一緒だ。私も、得体が知れなくて気持ち悪いと思ってしまう。浅ましいプライドでも、生きていくエネルギーになれば、まだ有用なのに。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

0 件のコメント:

コメントを投稿