2013年10月13日日曜日

思いわずらうことなく愉しく生きよ(江國香織)



先週読んだ「乱紋」に引き続き、三姉妹の話。といっても現代に生きる三姉妹だ。でも、この三姉妹はいい。「乱紋」の三姉妹のようにねたみ、そねみ、競い合うことなく、自分の生活をもっていながら、適度な距離を保ち、必要なときは助け合う。ある意味理想的な姉妹のあり方ではないだろうか。

しかし、さすが小説だけあって、3人とも個性的だ。夫からの暴力を受けながらも、夫の存在を通してしか自分の存在意義を見出せない長女、麻子。有能なキャリアウーマンで最愛の恋人と同棲しながらも、結婚を拒み、他の男との関係も続ける治子。家族思いではあるものの、恋愛というものが信じられず、誰とでも何となく肉体関係をもってしまう三女、育子。3人のどれにもあまり大して共感できなかったが、3人の家族としてのつながり方は素敵だと思った。

全く違う価値観をもち、人生を歩みながら、互いに羨ましがったり、自分と引き比べて焦ったりということは全くない。しかし「乱紋」の後にこれを読むと、むしろ「乱紋」の意地を張り合う姉妹のほうが自然のように思えてしまう。何せ兄弟姉妹は、人生で始めての競争相手なのだから。

この話で、姉妹の三人ともそれぞれユニークなのだが、その中でもひときわ注意を引くのが、DVを受ける長女麻子だ。家庭内暴力、DVというと勿論暴力をふるう夫が当然悪いと思っていたが、この話を読んで、被害者側にも原因はあるのかもしれないと思った。この話の長女、麻子は、夫の愛情を信じて疑わず、夫の存在でしか自分の存在意義を見出せない。暴力をふるわれているのに、その行為を正当化して、自分を被害者だと認めない。夫の暴力に怯えながら、そのそばを離れる孤独にも耐えられない。いくら姉妹が守ろうとして立ち上がってくれても、自分で暴力夫のそばにいることを選び、「私は大丈夫、暴力なんてふるわれていない」なんて否定していたら、どうにも助けようがない。実際のDVの事例はよく知らないが、こんなことも本当にあるのだろうか。

それでも、麻子も同じようにDVに苦しむ主婦、雪江に出会い、そこに自分の姿を見ることで、変ってゆく。幸い、手を伸ばせば助けてくれる家族がいる。
「家族に愛されると、人は強くなるのね」という雪江の言葉は印象的だ。誰か1人に全てを依存するのは健康的でない。お互い支えあいながら、それでいて自由気ままな人生を歩んでゆく犬山家の人々。こんな風にまわりを気にせずに自分らしく生き、それでいて必要なときに助け合えたら素敵だと思う。

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