2013年7月9日火曜日

ところ変れば・中国広東省



先週は仕事で中国広東省にいた。中国ではBloggerのブログは見られず、即時アップができなかったので、今更ながらその時のことを書く。大学時代中国語を学び、中国人をルームメイトに持ち、既に何度も中国を訪ねたことのある私なので、昔ほど新鮮な驚きを感じることは少なくなった。しかし、やはり、行くたびに違う文化、価値観だということを実感する。中国は広いので、地方による違いもかなりあるが、ちょっとその文化の違いを書いてみたい。

まず、食事。種類もさることながら、いつもものすごい量を注文する。日本なら、食事を残すのは用意した人に失礼と、皆、食べられる量だけしか注文しない。しかし、これは一番初めに中国に行った時に言われたことだが、中国でおごられる場合、料理を平らげてしまうと逆に失礼にあたる。料理を平らげてしまうのは、まだ食べ足りない、ということであり、もっと欲しい、という意味にとられてしまうのだ。だから多少残すのがいいらしいのだが、それにしても毎食毎食、皆が円卓を囲って食べるのに、注文しすぎるような気がする。食べられる量の2倍以上注文しているような・・・。ものを無駄にするのが贅沢、そんな感覚なのだろうか。なんてもったいない。
食事後残された料理の山。もったいないお化けが出るぞ~。

ちなみに、「おごられる場合」と書いたが、中国の場合、友達同士で食べにいっても、誰か1人が支払いをするのが一般的だ。割り勘や、自分が注文した分だけ払う、というのはあまりしない。友達同士の場合、毎回払う人を変えることで、平等にする。ワリカンのことは中国語で「AA制」ということを今回の出張で知った。「AA」とは、Arithmetic Average(算術的平均?)のことらしい。中国人は、英語でもワリカンはAA Systemというものだと思っていて、しばらく私は何のことだかわからなかった。意味不明のジャパニーズ・イングリッシュもかなりあるが、チャイニーズ・イングリッシュも結構ありそうだ。

さて、広東省でおもしろいのは、食事前、自分で食器を洗う習慣だ。お皿がきちんと表れているかどうか信用できないので、とりあえず食事は、自分で食器を洗うことから始まる。これは広東省からほど近い香港でも同じらしい。熱々のお茶がお椀に注がれたら、飲んではならない。その熱湯で、箸やお皿を満遍なく洗う。そのお湯を大きなお椀に捨て、やっと料理を食べる準備が整うのだ。レストランの保健衛生が信用ならないからこそ行う行為だが、既に慣習化しているので、失礼にはならない。しかし、中国でも別の場所でこれをやれば、とんでもない失礼になるので要注意。それにしても、衛生を強調するため、広東省の各レストランでは、「殺菌洗浄済み」とかかれたビニールに包装されたお皿を出すところも多いのだが、それでも客はビニールの包装を破り、取り出したお皿をやはり熱湯で洗う。無駄だなあ、なんて思ってしまう。
食器をお茶で洗浄中。


よく中国人は無礼と日本人は言うが、私は、無礼というよりも大らか、というか大雑把だと思う。日本のように細かいマナーはあまりないし、食事中にこぼしたりするのにもとても寛容だ。中国の茶道を見たことがあるだろうか。日本の茶道の動作はひとつひとつ決められているのに対し、中国の茶道では、ひとつひとつのお茶碗にお茶を注ぐのに、急須の口を持ち上げることはない。当然お茶碗の間でお茶がこぼれてしまうのだが、それも計算に入れて茶道の道具は設計されているのだ。茶道の席でお茶をこぼして当たり前なんて、日本では考えられないだろう。
大雑把なのをいいとするか、悪いとするかはものの価値観、文化が違うので、杓子定規にはいえない。ただ、何事につけ、細かさ、正確さ、精密さとなると日本人のほうに軍配があがるだろう。レストランやスーパーの従業員なんかを比べると、断然日本のほうがお客様へのサービス教育が行き届いている。以前学生の頃、北京のレストランで出されたメニューの間違いを指摘したところ、ウェイトレスから間違ったのはあんただろ、人のせいにするなと怒鳴られ、あっけにとられたことはある。しかし、きちんとした教育を受け、学歴をもち、それなりの地位についている人は皆、やはり礼儀正しく、相手を尊重する。面子を気にしすぎるようなところはあるが、皆、気のいい人たちだ。むしろ中国(および東南アジア)の大らかさに慣れてしまうと、日本人らしい細かさが行き過ぎに感じることも少なくない。そんなのどうだっていいじゃん、とかもうちょっと気楽に考えようよ、と思ってしまう。そしてそう思う私は、日本では「非常識」ということになってしまう。郷に入ったら郷に習え、とはよく言ったものだが、なかなか難しいものだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿