2013年7月12日金曜日

ガール (奥田英朗)



まさに、ドンピシャ。中年おやじのはずのこの作者は、なぜもこんなに30OLの気持ちがよくわかるのだろうか。まるで心が読めるようではないか。この短編集には、立場は違うが、等身大の30代の女の日常が描かれている。男尊女卑に立ち向かう新米女上司、結婚希望との間でマンション購入に迷う34OL、年を感じ、そろそろ「ガール」卒業を覚悟する32歳、ワーキング・マザー、ひと回り年下のイケメン新入社員にどきどきする34歳。

女同士の見栄の張り合い、結婚予定なしの30代女のあせり、身に覚えがありすぎて読んでいて身につまされる。特に少し前日本に帰り、まだ半分以上独身だと思っていた高校の同級生の8割以上が結婚していると聞いたときのショックからまだ覚めやらぬ私である。その前には、久々に訪ねた高校で、「あなたー、卵子は老化するのよー、結婚しなくても子供は産まなくちゃ。」とお説教されたばかりである。(高校教師のいう台詞ではないと思うが。)そろそろやばいかもしれない、と内心冷や汗だ。

一方で、同じ30代で、同じ働く女でありながら、海外にいて日本のOL文化を知らない私は、「日本の会社ってこんななのか」と新鮮に思う部分も多々あった。高校の時の友人たちはこんな会社生活を送っているのだろうか、私も日本にいればこんな風だったのだろうか、と。

私は、同期というものをもったことがない。わたしにとっては、「先輩」や「後輩」なんていう言葉も、高校時代までのものだ。アメリカの大学では、先輩も後輩もない、みな、「友達」だった。留学して帰ってきたときには次の年の新卒の採用は最終段階で、次の次の年の新卒採用を狙わなければいけなかった。その後ようやく新卒で雇われた時も、個人として新聞広告に出ていた空きポストに雇われ、自分と全く同じ仕事をしている人はいなかった。新人研修なんて受けたことはないし、先輩からのしごきにもあったことがない。自分と引き比べる同期なんていなかった。大学院を卒業し、海外に出てからはなおのこと。仕事では、30越えた今でも私が一番若いくらいだし、似たような仕事をしている同じ立場の同年代の女性なんて1年に1,2回お目にかかれるかどうかというくらいだ。また、似たような経歴をもち、同じ仕事をしている同年代の男もいないので、男尊女卑もほとんど感じたことがない。単に比べる対象がいないだけのことだ。

自分も立派な働く30代の女なのだが、この本に描かれているような見栄の張り合いや社内での微妙な関係にはとんと縁がない。それにしても、この本に登場する女性たちのファッションのなんと隙のないことか。Tシャツにチノパン、髪は後ろで1つにまとめて5分で出勤できることに幸せを感じる私とはなんと世界が違うのだろう。この間日本に帰って久しぶりにストッキングをはいたとき、こんなのを毎日はいて化粧して出勤しなきゃいけない生活は絶対ごめんだ、と思ってしまった私だったのに。

それでも日本に帰って、かつての旧友たちと顔を合わせるときには、眠っていたはずの見栄が顔をもたげる。違う道を選んだことで、みすぼらしい生活をしていると思われたくない。だから慣れないお洒落な(はずの)格好をして、疲れる羽目になる。自分が着飾るより、きれいな景色を見るほうが余程好きなのだけれど。そして知らず知らずのうちに久しぶりに会った友人と引き比べ、嫉妬したり、自己嫌悪に陥ったりする。好んで少々変った道を選んだ私が、比べられるはずのないものを比べていることに自分で滑稽さすら感じてしまう。

この本の中の名言。
「きっとみんな焦ってるし、人生の半分はブルーだよ。既婚でも、独身でも、子供がいてもいなくても。」
「女は生きにくいと思った。どんな道を選んでも、ちがう道があったのではと思えてくる。」

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