2014年2月8日土曜日

森に眠る魚(角田光代)



小さな子供をもつ5人の母親と、その孤独、葛藤を描いた作品。なかなか重く、決して読後感のいい話ではない。育児という共通項を通して知り合い、仲良くなった5人の母たち。助け合い、友情を育もうとするが、「お受験」というきっかけで、亀裂が生まれる。

確かにお受験は、5人の友好な関係を変容させるきっかけになるのだが、この小説は、単に母親たちのお受験をめぐる葛藤を描いた話ではない。育児に対する観点の違い、小説は、他人との比較心理、育児に対する焦り、生活における経済格差、価値観の違いなど、5人の母親の内面を鋭く描き出し、小さな子供の母親という同じ「身分」に置かれる彼女たちの心理をえぐる。

1人では不安な育児、誰かを頼りにしたい。主婦となった母の社会的接触は限られる。当然、話が通じるのは同じ状況にある身近なママ友だ。しかし、母親という身分は、それに至るまでの彼女たち個人としての人生を曖昧にしてしまう。自分個人ではなく、「OOちゃんママ」「OOさんの奥さん」としてしか評価されない虚しさ。子供によって親が評価される、その現実による恐怖と焦り。それは、様々な形をとって彼女たち、そしてその子供や家族生活に影を落とす。

興味深いのは、5人の女性の生活が描かれながら、育児を支えるべき夫たちは、まるで存在感がない。お受験についても、彼らは意見を言いつつも、実際に全て動くのは、妻たちである。そして、妻たちは育児は全て自分の責任だと思い込み、何かあれば夫に失敗を指摘されるのを恐れているのだ。

30を過ぎながらもまだ家庭も子供も持たない私には、この小説の世界はまだ他人事なのだが、既に母となっているかつての同級生の中には、この世界を実際に生きている人もいるだろう。彼女たちは、これを読んでどう思うのだろう。

これを読みながら誰もが思い出すのが、1999年の「お受験殺人」だろう。お受験をめぐって確執があったという、加害者と、被害者(2歳の女の子)の母。この事件で記憶に残っているのは、報道後、加害者に共感を寄せる母親たちの声が多く寄せられたということである。何の罪もない顔見知りの幼児を殺害など、許されることではないのに、「気持ちがわかる」という母親たち。それが、育児における母親たちの精神不安を物語っている。


この小説では、殺人はないにしろ、それに近い未遂のような場面がある。それを描く筆致はさすがだ。角田光代の小説はいくつか読んでいるが、この作者の女性心理描写は卓抜している。決してストーリー立てが際立って面白いとか言うわけではないのだが、それを描く筆致がリアルで、しかもどことなく品がある。ストーリーを描くのではなく、人の心を描く。この人の話は、小説ではなく、「文学」という言葉がよく似合う。

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