2013年3月26日火曜日

Veronica Decides to Die (Paulo Coelho)



邦題「ベロニカは死ぬことにした」。“Alchemist” “Devil and Miss Pryme” に続き、この作者の本はこれで3冊目だ。世界的ベストセラーになったAlchemistでさえあまり私の好みではなかったから、もう読むのはやめようと思っていたのだが、「これはいいよ」と友人に勧められ、また読んでしまった。御伽噺的要素が強かった前読んだ2作とは違い、これは至って現実的だ。特別宗教的な要素もない。しかし、他の作品と共通しているのは、これはストーリーで楽しませる本ではなく、ストーリーを通してもっと深いもの、人間の内面を追究していることだろう。

若く美しく、何の不自由もないベロニカは、人生に意義を感じられず、睡眠薬を飲んで死ぬことにした。次に目覚めたのは、精神病院だった。そこで医師に、殺未遂行為で心臓が致命的なダメージを受け、あと5日しか生きられないことを告げられる。精神病院で死を待つ間、そこに閉じ込められた人々に触れ、生きるということを見つめなおす。鬱病のゼドカ、パニック症で弁護士を辞めたマリ。エリートのレールからはみ出す事を許さない外交官の両親の下、夢を否定され精神分裂症を患ったエドゥワード。世間から異常とみなされた人々が集う精神病院では、異常であること、非常識であることが許される世界だ。しかし、一体何が普通で、何が異常なのか。人間皆それぞれ違う。違う人間を一定の枠に当てはめようとすることから歪みが生じる。人は皆違うことを肯定すれば、皆狂人で、狂人であることが普通なのだ。

ストーリーの展開は、正直言ってはじめから分かりきっていた。どうせこんなことだろう、と思っていた最後のオチも思ったとおりだった。しかし、ベロニカを取り巻く人々の話が思った以上に深く、面白かった。話の面白さを楽しむ私には、話の展開自体はもの足りなかったが、なかなか深く、考えられる本だった。読んでよかったと思う。

しかし、若く、美しく、仕事もあり、家族にも愛されているベロニカが死にたいと思うこと自体異常だが、人生に意義を見出せない若者が短絡的に死を選ぶのは、意外と多いのかもしれない。実際、彼女の生活は読んでいて、そりゃあ人生楽しくないわ、と思った。夢見たピアノの道もはじめから否定され、安定だけを考えて仕事は好きでもない図書館。ボーイフレンドはいるが、本気ではなく、むしろ暇つぶし。生きていてあなた何か楽しいんですか、と聞きたくなる。いや、人生楽しいから生きている人はそんなにいないかもしれない。世の中、死なないからとりあえず生きている人のほうが多いのではないだろうか。それでも、生きているからには楽しまなきゃ損ではないか。

人生は自分で楽しくするものだと思う。だから私は生活がマンネリ化してきてつまらなくなると、新しいことを始めたり、普段とは違うところに行ってみたりする。そんな人生を楽しむ努力もしないで、死に急ぐのはやっぱり若いというかなんというか。しかし主人公がたどり着いた結論については全面的に賛成。せっかく享けた生ならば、謳歌しなくてはもったいない。
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