2013年3月25日月曜日

瑠璃の海(小池真理子)



小池真理子の作品を読んだのは初めてだ。そして、中年の恋愛を描いた作品を読むのも初めてだ。もっと若かったときは中年の恋愛なんて興味もないし、むしろ不潔ぐらいに思っていたが、年齢的にも近づきつつあることだし、私も大人になったということだろう。

離婚した妻との間の一人娘を失った男と、配偶者を失った女。同じ事故の遺族会で顔を合わせてから、互いに惹かれてゆく。男は、さほど有名ではないが作家であり、世間を騒がせた事故の遺族同士の恋愛は、雑誌にスクープされる。一方男は思うように書けないことに苦悩を募らせていた・・・。きれいで素直な文章で若者の恋愛とは違った、成熟した官能に満ちた恋愛模様が綴られる。

この恋愛は、2人の心中で締めくくられる。中年の男女の恋愛で、最終的に心中するところは、「失楽園」を彷彿させる。(読んだことはないが、あらすじだけ知っている。)しかし、世間一般的に理解できるようなはっきりした理由のない心中だ。女は未亡人、男はとうの昔に離婚済みの独り身で、事故で亡くなった女の夫への罪悪感を抜きにすれば、障害は全くないはずだ。しかも、それは本人たちも理解している。それでも、あえて男は死ぬことを選び、女は「幸せだから」と男と最後を共にすることを選ぶ。生きるすべをなくし追いつめられての切羽詰った自殺ではなく、自分で人生の幕切れを選んだ、人生の選択としての自殺。理屈としてわからないでもないが、しかし感覚としては全然分からないし、共感も感動もできないというのが本当のところだ。

ここに描かれている死は観念としての死であって、ロマンチシズムの結末なのかもしれない。あるいは、私がこの小説を読むのが早すぎたのかもしれない。読むタイミング、というのはあるものだ。昔、幼い時分、アンデルセンの人魚姫はなぜ海のあぶくとなることを選んだのか、全く理解できなかった。王子への愛ゆえ、ということもわからなかった私には、その結末は何の余韻もない不可解なものであった。サン・テグジュペリの名作「星の王子さま」だって、10歳で読んだときは、なんてつまらない本だろうと思った。描かれている話の深さにも気づかずに。もしかしたら、この本もそうなのかもしれない。

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