2014年1月19日日曜日

成績と子供の幸せ・その2



昨日、「世界の子供の幸せと学校の成績」の記事を書き、思い出したことがあった。
2,3ヶ月前、中国に出張に行ったときのことだ。たまたま、泊まったホテルが街の中心近くにある中学校のまん前にあった。小学校もその隣だ。最近の中国の都市部の学校の典型のような、新しくて近代的、おしゃれでかっこいい大きな校舎だ。

時、目を覚ましてふと窓の外に目を向けると既にたくさんの生徒が学校へと向かっている。時半にもなるとその列は途絶え、皆校舎の中だ。7時半から授業が始まるらしい。そして、午後6時過ぎ、仕事を終えてホテルに帰ってきた私が再び外を見ると、まだ校舎の明かりが煌々とついている。ほとんどの教室にまだたくさんの生徒の影が見えた。そして、7時を過ぎてもまだ多く残っていた。



 「ねえ、もう夜なのになんでまだ生徒がいるの?まさか、まだ授業があるわけじゃないでしょ?」中国人の仕事仲間に聞くと、
「ああ、親の迎えを待ってるんじゃないかなあ。まあ、夕方まである授業もあるかもしれないけど。」
「親の迎え?中学生でしょ、幼稚園児じゃあるまいし。何で迎えが必要なの?」
「だって危ないじゃない。遠くから来ている子だっているだろうし。」
危ない?私は首をかしげた。治安の良し悪しは街の見た目でかなりわかる。そこは、近代的に整備された、新しい都市の区画の真ん中で、ごみひとつ見当たらない。道は広々とし、人々の生活臭も感じられない。東京の私が住んでいる辺りよりも安全に見えるのだが。

「送り迎えが必要なほど遠くから来るの?ここ、公立でしょ。」
校区などというものはないのか、と思って聞いてみると、いい学校には遠くからでも生徒が殺到するとのこと。ホテルから見下ろせるその学校は、確かに相当しっかりした設備をもった学校のように見えた。きっと競争率の高いいい学校なのだろう。

夜が更けるにつれ、生徒の数は少しずつ減っていき、教室の明かりもひとつずつ消えていった。それでも、夜10時になってもまだ明かりがついている教室もあり、居残っている生徒の影がわずかだが見えた。あの子達は10時間ちょっと後にはまた登校するのだろう。

私が泊まったホテルのビルは、小中学校にすぐ近いこともあり、下の階の多くが補習塾になっていた。夜9時過ぎになると塾を終えた児童・生徒でエレベーターがごった返す。こんな遅くまで勉強させられるのなんて可哀想な子達だなあ・・・と思い、ふと気がつく。そういえば私だって同じだったよな、と。

今から20年以上も前のことだ。小学校は午後2,3時で終わっても、家に帰り、早い夕ご飯食べて、5時半から時半まで中学受験の進学塾で勉強。塾で再びお弁当を食べる。家に帰るのは、早くても時、遅いときには10時半。その生活は、可哀想だったのだろうか。

そうでもなかった、と自分で思う。私は塾が楽しかった。小学校よりも。受験のプレッシャーがないことはなかったが、それ以上に競争の緊張感、やりがいを楽しんでいたと思う。あまつさえ授業は8時半までなのに10時まで塾に居残り、時々最終バスを逃していた。決して勉強していたのではない。塾の気の合う友達と遅くまで遊んでいたのだ。それはとても楽しい、お楽しみの時間だった。それは、私が勝ち組にいたからかもしれないけれど。

エレベーターに乗り込んできた塾帰りの子供たちの顔も、多くは明るかった。夜遅くまでの塾通いが可哀想かなんて、他人にはわからない。本人たちは案外楽しんでいるかもしれない。ただ、中国では親からの多大の期待を背負わされて、自殺する子供も少なくないと聞いた。願わくば、競争の中で苦しみ、いやいやながら勉強してる子にも、逃げ場が、救いがあるような世の中であってほしいと思う。

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