2013年2月6日水曜日

ひな祭り



お雛様を出した。といっても大したものではない。紙で出来た飛び出すカードの7段のお雛様である。もちろん、ここバリにはお雛様を飾る風習もないし、春の訪れを待ちわびる季節感もない。ここは常夏の国、乾季・雨季の2つの季節があるばかりで、折りしも今は雨季の真っ盛り、毎日バケツをひっくり返したような雨が降っている。しかし、この時期になるとこのカードのお雛様を出すことは、ここ数年来の習慣になっている。

このカードのお雛様は私がアメリカに大学院留学中、姉が送ってくれたものである。「ひなまつりが近いので、送ります。まあ、かざってみてよ。」と一言添えられていたはいいが、私が受け取ったときは、既に33日は過ぎていた。もしや私を自分より先に結婚させまいとする姉の画策ではなかろうかと、あらぬ疑いが頭を掠めたものだ。

カードを開いて驚いたのは、これが実家にある私たちのお雛様に良く似ていたことだった。もちろん、雛壇に置かれる人形や道具の種類などは似たり寄ったりなので驚くには値しないのだが、お雛様によっては、お雛様の冠がやたらと華美だったりするものや、欄干や階段がついているもある。姉が送ってくれたカードは、立派だが必要以上の派手さはない、標準的な7段のお雛様で、まさに私たちのお雛様をカードにしたかのようであった。

実家にあるお雛様は7段飾りの立派なもので、住宅のスペースが限られる都会では7段のお雛様を持っている同級生は少なく、小さい頃から密かな自慢だった。7段のお雛様は出すだけでかなりの重労働だったが、それでも昔から、面倒ながらも出すのも楽しかった。毎年出すたびに上の段に手が届くようになり、最上段のお雛様が自分で飾れるようになったのは、いつのことだっただろう。お雛様は小さな家のかなりの部分を占領したが、たとえ家が狭くなっても、自分のお雛様が家を占領しているというのは悪い気はしなかった。

決して広くはない都会の公務員住宅で、お雛様が飾られるのは、居間の隣にある、夜は父と母の寝室となる畳の部屋だった。お雛様が出されると、当然、父と母は部屋の真ん中に布団を敷くことは出来なくなり、お雛様の前と横の限られたスペースに布団を敷くしかなくなる。狭い家の中心に堂々と据えられたお雛様の横で、窮屈そうに寝る父と母。その構図はまるで自分が家で一番偉くなったようで、両親にはどうしても頭が上がらない子供時代、大変気分の良いものだった。両親が自分のせいで狭い思いをしているのをほくそ笑んで見ていたのだから、大変な親不孝者である。

いつだってお雛様はモノクロームの季節の終わりを告げる、春の先駆けだった。燃えるような真紅の緋毛氈に、金の屏風。パステルカラーの雛あられに、母が活ける菜の花の目が冴えるような黄色。そして夕食に食べる散らし寿司の金糸卵に、上に乗っけられたイクラの輝くばかりのオレンジ色。この華やかな色合いのお祭りには、冬の沈鬱な気分を吹き飛ばしてくれる魔法があった。7段の後ろのスペースが秘密の隠れ家のようで、どきどきしながら遊んだ幼年時代。わざわざ着物を出して着た年もあった。姉の送ってくれたカードの7段飾りを見ながら、そんな思い出が浮かんでは消える。

うちのお雛様に最後に会ってからもう何年経つだろう。今年もまた、母はあのお雛様を飾るのだろうか、とふと思う。姉も私も出て行った家で、未だに自分の家族を持たない30過ぎの娘2人のために。


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