2013年1月30日水曜日

私のなんということはない読書歴 ~小学生編~


今でこそこんな書評を偉そうに書いている私だけれど、昔から特別読書家だったというわけではない。いや、結構な読書家だった時代と全然本を読まない時代と、かなり浮き沈みが激しいのだ。

それでも、思い返せば子供の頃はかなり読書家だった。小学生の頃は学校の登下校中も本から目を離さなかったぐらいである。当時のお気に入りの本は、灰谷健次郎の「兎の眼」。何度もしつこいほど繰り返し読んだ思い出の本だ。50回以上は読んだのではないかと思う。それに、新井素子「くますけと一緒に」、三田村信行「ぼくが恐竜だったころ」。「くますけと一緒に」は今も健在だが、後者のほうは知っている人も少ないだろう。学級文庫の中にあり、大好きだったのだが、廃刊となってしまったと聞いた。あんな名作こそ是非子供たちに読み継がれてほしいのに、残念だ。

児童向けのライトノベルもたくさん読んだ。ポプラ社のとんでる学園シリーズ、特に「ふーことユーレイシリーズ」は一番のお気に入りで、幽霊の和夫くんに胸をときめかせたものだった。シリーズの出版は私の成長に追いつかず、ストーリーの行く末を追わないまま大人になってしまった。最近ネットで知ったことには、どうやらあのシリーズは完結したらしい。是非最後まで読んでみたいと思うが、今あのシリーズを読んだらどう思うだろう。あの頃の自分のかわいらしさに笑ってしまうかもしれない。

もちろん、児童書定番のズッコケ三人組シリーズも大好きだった。今私の記憶に残っているのはわずかだけれど、ズッコケ恐怖体験、ズッコケ大時震など、かなり読んだはずだ。終わりがないかと思っていたこのシリーズも終に終わりを迎えたと聞き、その最後の1冊だけ読んでみた。なんだかあっけない出来の最後の一冊だったが、終わったというだけで感慨深いものだった。

小学生も高学年になりはまったのは、ティーンズハートやコバルト文庫などの少女小説である。折原みとや小林深雪の純愛小説。日向章一郎の学園ミステリー、「放課後」シリーズ、「星座」シリーズ。これらの小説の主人公はたいていは高校生で、遠い未来に感じていた高校生活へのあこがれに、胸をふくらませたものだった。現実は女子高で、恋愛とはまったく縁のない生活を送ったが。折原みとでは、「時の輝き」、「桜の下で逢いましょう」、それに「アナトゥール星伝」シリーズ。これも例のごとく、シリーズの終わりを見届けることなく成長してしまった。小林深雪は折原みと以上にたくさん読んだはずだ。記憶にある「16歳子供じゃないの」は、17歳、18歳、と続き、20歳で完結した、と思いきや、実はその子供の話となり、さらにその子供と4世代続いたらしい。第2世代まではわかるが、その先はやりすぎではないだろうか?

私に少女小説のめくるめく世界を教えてくれたのは2つ上の姉だった。といっても、親切に本を薦めてくれたのではない。本を見せてもらったといえば聞こえはいいが、ぶっちゃけて言えば姉の本を盗み読みしていたのである。お小遣いをケチって貯めようとする私とは違い、姉は好きなものは惜しげなく買ってきた。姉の部屋はいつも、ちょっと背伸びしたい年頃の私の興味を引くものであふれていた。姉の部屋に侵入するときはいつも、罪悪感とともに宝探しをするような興奮を感じたものだった。姉の部屋はまさに私にとって秘密の花園、宝島だった。そして、姉の部屋の散らかりようはそのわくわく感を一層強くした。床に雑多におかれた小物類の影に、小説を発見したときの喜び。まさに掘り出し物を発掘する感覚だ。勝手に拝借する時もどうしたらばれないかとあれこれと頭をひねり、返すときには、出来るだけ元の場所にと思いつつも、元々どこにあったか忘れてしまうことも多かった。姉の部屋を探検している時に玄関のドアが開く音が聞こえようものなら、慌てふためいて逃げ帰ったものである。もちろん、姉が気づいていないはずはない。「あんた、また盗み読みしたね?」と聞かれれば、蛇ににらまれた蛙のようになりながらも、懸命にしらばっくれた。そしてしばらくは自粛するのだが、また2,3日したら我慢できずに、姉の部屋に宝探しに出かけた。

その繰り返しは、後に対象がライトノベルから漫画に変わりながらも、姉が大学に入り、家を出るまで続いた。姉は家を出て行くとき、大部分の本・漫画を家に置いていった。これで私は落ち着いて存分に本・漫画を楽しめることができるようになったはずだったが、不思議なことに、その途端、本たちは急に色あせて見えた。主を失った部屋はとたんに宝島ではなくなり、前のように本を手にするわくわく感もなくなってしまった。私の少女時代を彩ってくれた本たち。しかし、それも姉の存在なくしてはありえなかっただろう。

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